No.0995
こうないざか
咥内坂
高ヒット
放送回:0628-A  放送日:1987年12月12日(昭和62年12月12日)
演出:若林忠生  文芸:沖島勲  美術:安藤ひろみ  作画:若林忠生
高知県 ) 20848hit
峠を通る人を腹ペコにして動けなくしちゃうお地蔵さんの話

昔々、高知の西に険しい山に囲まれた咥内坂という峠があった。その咥内坂のお地蔵様は、夜ここを通る者にひもじい思いをさせて困らせることがあると言われておった。

ある寒い冬の夜のこと、咥内坂をたまたま通ることになった「たへい」という若者がおった。朝倉村へ嫁入りした妹の祝言の帰り。よさこいを歌いながら松山へと向かっておったのじゃった。

しかし、お地蔵様の前を通り過ぎたとき、たへいは急に腹が減って、その場にへたり込んでしもうた。「そうじゃ。咥内坂を夜こえる時には、必ず、なんか食い物を持っておらんと酷い目にあうと聞いたことがあったが。」たへいは食べるものなど一欠けらも持っておらんかった。冬の夜風はますます冷たく吹きぬけ、さらに雪まで降り始めておった。寒さとひもじさで、たへいはとうとう動けんようになってしもうた。

しばらくして、笹雪を踏み分ける足音が近づいてきた。山仕事から降りてきた一人の樵じゃった。たへいは身振り手振りで、腹が減ってどうにもならんことを必死になって訴えた。樵は赤ん坊の頭ほどもある握り飯を取り出し、半分渡した。たへいが無我夢中でその握り飯を食い終わる頃には、ひもじさは嘘のようにけしとんでしもうておった。そうして、たへいと樵は、お地蔵様に手を合わせてお礼をした。

「わしにもよう分からんが、高知は山また山でな。この咥内坂は東から来る者が初めにかかる峠じゃで、用心せえ、峠を甘くみるとこの先、命を落とすこともあるんじゃというお地蔵様の教えかもしれんなあ。」それからというもの、咥内坂の峠を夜こえる者は、必ず握り飯を持って、この峠を越えるようになったということじゃ。

(投稿者: ニャコディ 投稿日時 2011-11-20 20:38)


参考URL(1)
http://nangokutosa.blog47.fc2.com/blog-entry-2063.html
ナレーション市原悦子
出典市原麟一郎(未来社刊)より
出典詳細土佐の民話 第二集(日本の民話54),市原麟一郎,未来社,1974年08月30日,原題「咥内坂」,採録地「高知市」,話者「深田友幸」
場所について咥内坂のひだる地蔵はこの辺り?(地図は適当)
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地図:咥内坂のひだる地蔵はこの辺り?(地図は適当)
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※掲載情報は 2011/11/20 21:43 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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ゲスト  投稿日時 2019/2/3 13:40
これはまさしくヒダル神ですね。
現代ではハンガーノックともいいますね。
体内にエネルギーにするものがなくなったりすると起こる現象です。
マラソンや長距離の自転車走行でなったりします、
わたしも自転車で200kmくらいはしったときなりました
ゲスト  投稿日時 2019/1/23 22:41 | 最終変更
咥内坂の旧道からわき道に数m入ったところに「天保七年 牛馬災難 七月吉日」と彫られたお地蔵さまがあります。
下のサイトにはありませんが、外の花崗岩の囲いには、「ひだる地蔵(延命)移設平成八年十月吉日 枝川咥内経」と彫られています。

http://nangokutosa.blog47.fc2.com/blog-entry-2063.html
__
情報提供ありがとうございました。地図をお地蔵様があると思われる場所に訂正しました。(2019/1/24)
ゲスト  投稿日時 2019/1/22 23:24
近くに住んでいましたが、確かに朝倉は高知平野の終わり部分で、ここから西に行くには山道が始まります。
古くから路面電車や道路が整備されていますが、当時はおそらくもっと険しい峠だったのでしょう。
明治期に整備されたその路面電車や道路も、勾配は急です。
今度朝倉を訪れた際には、地蔵が無いかを探して見ます。
ゲスト  投稿日時 2018/6/14 1:34
考古学的に面白いお話でした。
こういった教訓めいたお話というのは日本独自のものなのでしょうか?

外国のお話にはあまりないような気がします。
araya  投稿日時 2011/11/20 22:56
近くに「こうない坂医院」というのもありますし、地形的には山に挟まれた峠道っぽいですから、適当ってこともないかも。これで、後は地蔵様でもあればバッチリですね(^-^)。

しかし、咥内坂。「餓鬼憑き」や「ヒダル神」って妖怪の特徴、そのまんまですね。下記の「餓鬼憑き」の項を見ると、高知県の土佐清水地方でも餓鬼飯といって、餓鬼憑きに備えて弁当の中身を一口ほど残す慣わしがあるとか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%93%E9%AC%BC%E6%86%91%E3%81%8D
また、「ヒダル神」は腹が減った時に「ヒダルい」という美濃の言葉からきてますが、これを高知県では「ダリ」といって「柴折様(しばおりさま)」と呼ばれる祠や地蔵が峠や路傍に祀って、ここに折った柴を供えて行くと、その場所を通る人はヒダル神を避けられるといわれているそうですので、話中の地蔵さまは柴折様だったのかもしれません。ちなみに、「ダルい」の語源になったという話もあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%80%E3%83%AB%E7%A5%9E

いずれにしても峠道はきつく、行き倒れる方も多かったでしょうから、その霊が憑りついたのかもしれません。くわばらくわばら。
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