No.0939
こなげしお
子投げ潮
高ヒット
放送回:0591-A  放送日:1987年03月21日(昭和62年03月21日)
演出:前田康成  文芸:沖島勲  美術:門屋達郎  作画:前田康成
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あらすじ

昔、種子島でのこと。その頃は山で暮らす人と、海で暮らす人とが分けられており、お互いのその収穫物を商人を通じて交換し、行き来させているのが常でした。

そんな山の村に年老いた父親と、怪我をして動けなくなった夫とその妻のトメ、そして生まれたばかりのちよという名の赤ん坊の4人の貧しい家族が住んでいました。今日も商人が品物を買いに来たが出すものもほとんど無く、逆に美味しそうで滋養のありそうな海の幸を見せつけられ、悲しい思いをしたのだった。

トメは「もがきながら弱っていくなんて、自分には出来ない」と、赤ん坊のちよを背負ったまま浜へ出ていった。その日はお彼岸で海に住む人々は皆仕事を休み、浜に人はいなかった。

トメは大きな長浜という、いつもは漁の人達で賑わっている場所へ移ると、そこには見た事もない多くの貝が落ちていた。その日はちょうど大潮で潮は沖の方まで引き、日頃見せた事のない沖の瀬が遠くまで姿を見せていた。

トメは背中におぶっていたちよを瀬の平らな所に寝かせると、沖の方まで駆け出していった。すると沖の方に今まで見た事のない貝が、大口を開けているのを見つけた。トメは貝を捕まえようとして手を伸ばした瞬間、貝の口がピシャリと閉まってしまったのだった。

その貝はとびきり大きなシャコ貝で、一度閉まった口はもうどうやっても開かないのだった。トメは何とか逃げようと必死にもがいたが、どうすることも出来なかった。大潮の日は引き潮も早いが満ち潮も早い。満ち潮が早い勢いでトメの目の前まで押し寄せてきた。

トメは声の限りに叫び続け、ちよの名前を呼び続けた。潮はトメの身体をほとんど埋めつくし、ちよの身体をも濡らし始めた。その時浜の長老がそのことに気付き、村人へ浜へ走るよう言った。しかしもう時すでに遅く、若い衆が駆け付けた時潮はすでに満潮で、もう親子の姿はどこにも無く、ただトメの着物とおぶい紐が海面に浮いているだけだった。

(投稿者: てぃっぴい 投稿日時 2012-6-8 10:34 )


ナレーション常田富士男
出典下野敏見(未来社刊)より
出典詳細種子島の民話 第一集(日本の民話33),下野敏見,未来社,1962年08月31日,原題「子投げ潮」,話者「西之表市の椎田滝助、中種子町の沢園友松、南種子町の柳田源八」
場所について種子島の長浜(地図は適当)
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地図:種子島の長浜(地図は適当)
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※掲載情報は 2012/6/8 16:33 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
8件表示 (全8件)
あきこ  投稿日時 2021/5/27 3:50
私は覚えていませんが、昔一緒に見たらしく母はこの話を覚えていました。
お話の中で、母親が必死に娘の名を呼ぶところが泣けてしかたなかった、今思い出しても涙が出ると申しておりました。
・・・悲しいお話ですね。
ゲスト  投稿日時 2018/11/6 23:28
これをモデルに手塚治虫がブラックジャックで似たお話を描いてます
そこでは素潜りが得意な男の子がシャコガイに足を挟まれてしまう流れです

トメと違い、男の子はブラックジャックの機転で助かります
親の無知が…  投稿日時 2018/7/2 6:52
山の人間だったトメは、危険な貝とは知らずに触り、手を挟まれてしまった。海の人間なら決して触らなかった貝を。

やはり、ルールというのは理由があって、長年地の人は守ってきた訳で、

生活が苦しく、トメも必死だったんだと思う。でも厳しい言い方かも知れないけど、あまりに無知で浅はかだったと思う。

まだ、トメは自身の行いで招いた結果だから、誰を恨むでなく、自己責任だけど、チヨは生まれたばかりなのに、まだこれからなのに、親の無知の犠牲になって可哀想だと思う。乳飲み子を家に置いてこれなかったんだろうけど、連れてきたが為に、巻き添えになってしまった。

本当に可哀想なのは、チヨだと思った。
ゲスト  投稿日時 2016/11/20 1:33
悲しいお話。。

海のルールと、山のルールは違うのだなと思いました。

意を決して海まで行ったトメの気持ちも、せつないです。

その当時、入合権や漁業権なんて言葉はなくても、その土地に住む人がその土地の恩恵に預かるルールはあったでしょうし、山のトメが、海の物を採ってもいいのかな、と気になってしまいます。

トメが、浜におりる前に、海の者に一言、声をかけていればなぁと思ってしまいます。
beniko  投稿日時 2011/11/6 15:58
arayaさん指定の地図の座標にしました。秘密の入り江かー、昔の事を想像すると楽しくなりますね。いろいろ考慮していただき、ありがとうございました。
araya  投稿日時 2011/11/3 9:38
長浜海岸に沿って丘陵が迫ってますので、その丘陵からの短い川の河口が大小の入り江を形成しているようですね。仮ポイントにした神社から見える大きな入江のすぐ北側には小さな入り江もありますし。そちらに移動した方が現場っぽさがあっても良いかもですね。

30.556422,130.937626

また、小さな入り江は、何隻も漁船を置いたり網を干したりと共同作業に向かない上、集落からは山影になりやすく不用心というのもありますし。そこで何かする人がいたら後ろめたいことをしてるように映るから、意図的に避けていた可能性もありますね。むしろ、それがために逢引や密談用の入り江として「誰も出入りしない入江」になってたのかもと邪推したりです(^_^)。
beniko  投稿日時 2011/11/3 0:53
このあたりを地図で見る限り、まーすぐな海岸で「入江」っていう雰囲気じゃないですねぇ。見晴らしが良いくらいの海岸だとこっそり密漁、ってわけにはいきそうにないし。
もう、昔と今とでは海岸線が変わってしまったのでしょうかね。
araya  投稿日時 2011/11/2 19:54 | 最終変更
『種子島の民話』(下野敏見,未来社)によると「種子島の長浜」とのことらしいですね。
地名では長浜海岸のようですが、母子が禁漁した「誰も出入りしない入江」となると…。山と海で生活が厳しく区分されてる点で海岸北部。彼岸のため山の中腹で村人が墓参りしてた点で、海岸沿いに寺か神社があるところ。真偽は別として話の記述に当てはまるってところで、長浜海岸の下記ぐらいで仮ポイントってのはどうでしょう。

30.558852,130.947384
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