むかしむかし、大むかし。ある所に三浦大介(みうらだいすけ)という106歳の爺さんがおりました。「わしは日本一の年寄じゃ!」ある時、三浦大介爺さんは大威張りで旅に出ました。すると海の見える峠で、一人の爺さんが「お若い方、火を貸してくれんか?」と話しかけてきました。若い者呼ばわりされた三浦大介爺さんは怒りましたが、なんとその爺さんは浦島太郎で、龍宮から戻った8000歳の大年寄でした。
そこで浦島太郎爺さんが日本一の年寄ということになり、二人は並んで歩いて行きました。やがて大きな岩の所で、一人の爺さんが「お若い方達、どこに行きなさる?」と話しかけてきました。若い者呼ばわりされた二人は怒りましたが、なんとその爺さんは東方朔(とうぼうさく)で、山の松の木の親松のそのまた親松のことも知っている9000歳の大年寄でした。
そこで東方朔が日本一の年寄ということになり、三人は並んで歩いて行きました。やがて日も暮れる頃、道の向こうから一人の老婆が大急ぎで歩いて来ました。老婆は「そこのお若い三人。ちょいと手を貸してくれんか?」と話しかけてきました。若い者呼ばわりされた三人は怒りましたが、なんとその老婆は「儂は700000000歳の七億婆(しちおくばば)じゃ。」と言うのでした。
そうして七億婆は三人を一軒の家に連れて行きました。その家には妊婦がいて、七億婆は産婆だったのでした。爺さん三人は、水を汲んだり、湯を沸かしたり、忙しく働いて七億婆を手伝いました。やがて、玉のようなややこ(赤ん坊)が生まれると、三人の爺さんは目を細めてややこを見つめました。
ところがここで三人の爺さん、七億婆が700000000歳なんて嘘だろうと言いだしました。すると、七億婆は三人の爺さんのお母さんの名前をそれぞれ言い当てて、三人が生まれる時、自分が産婆として立ち合ったんじゃと言ったそうです。三人の爺さんはすっかり恐れ入り、意地を張るのを止めて皆で笑いあいました。それから、この四人の年寄はいつまでも長生きしたということです。
(投稿者: ニャコディ 投稿日時 2013-6-16 19:23 )
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 松岡利夫(未来社刊)より |
出典詳細 | 周防・長門の民話 第一集(日本の民話29),松岡利夫,未来社,1960年09月14日,原題「としくらべ」,採録地「吉敷郡」,話者「米永ミサヲ、江藤茂」 |
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