No.0925
としくらべ
としくらべ

放送回:0582-A  放送日:1987年01月17日(昭和62年01月17日)
演出:こはなわためお  文芸:沖島勲  美術:西村邦子  作画:柏木郷子
山口県 ) 17081hit
長寿を自慢するお爺さん達が、自分達を取り上げた産婆に出会った

むかしむかし、大むかし。ある所に三浦大介(みうらだいすけ)という106歳の爺さんがおりました。「わしは日本一の年寄じゃ!」ある時、三浦大介爺さんは大威張りで旅に出ました。すると海の見える峠で、一人の爺さんが「お若い方、火を貸してくれんか?」と話しかけてきました。若い者呼ばわりされた三浦大介爺さんは怒りましたが、なんとその爺さんは浦島太郎で、龍宮から戻った8000歳の大年寄でした。

そこで浦島太郎爺さんが日本一の年寄ということになり、二人は並んで歩いて行きました。やがて大きな岩の所で、一人の爺さんが「お若い方達、どこに行きなさる?」と話しかけてきました。若い者呼ばわりされた二人は怒りましたが、なんとその爺さんは東方朔(とうぼうさく)で、山の松の木の親松のそのまた親松のことも知っている9000歳の大年寄でした。

そこで東方朔が日本一の年寄ということになり、三人は並んで歩いて行きました。やがて日も暮れる頃、道の向こうから一人の老婆が大急ぎで歩いて来ました。老婆は「そこのお若い三人。ちょいと手を貸してくれんか?」と話しかけてきました。若い者呼ばわりされた三人は怒りましたが、なんとその老婆は「儂は700000000歳の七億婆(しちおくばば)じゃ。」と言うのでした。

そうして七億婆は三人を一軒の家に連れて行きました。その家には妊婦がいて、七億婆は産婆だったのでした。爺さん三人は、水を汲んだり、湯を沸かしたり、忙しく働いて七億婆を手伝いました。やがて、玉のようなややこ(赤ん坊)が生まれると、三人の爺さんは目を細めてややこを見つめました。

ところがここで三人の爺さん、七億婆が700000000歳なんて嘘だろうと言いだしました。すると、七億婆は三人の爺さんのお母さんの名前をそれぞれ言い当てて、三人が生まれる時、自分が産婆として立ち合ったんじゃと言ったそうです。三人の爺さんはすっかり恐れ入り、意地を張るのを止めて皆で笑いあいました。それから、この四人の年寄はいつまでも長生きしたということです。

(投稿者: ニャコディ 投稿日時 2013-6-16 19:23 )


ナレーション市原悦子
出典松岡利夫(未来社刊)より
出典詳細周防・長門の民話 第一集(日本の民話29),松岡利夫,未来社,1960年09月14日,原題「としくらべ」,採録地「吉敷郡」,話者「米永ミサヲ、江藤茂」
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※掲載情報は 2013/6/16 19:42 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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匿名希望。  投稿日時 2022/1/29 11:30
まるで、浦島太郎の後日談みたい。(笑)
もんた  投稿日時 2019/11/9 8:15
故事来歴があるのですね。感激しましたね。
Perenna  投稿日時 2019/3/5 22:03
この昔話に登場する「三浦大介106歳」という爺さんは、源平合戦の時に源頼朝に味方した三浦義明という武将らしいです。
三浦大介義明は89歳で討ち死にしますが、その十七回忌の時に源頼朝が大規模な法要を営んだので、89歳+17回忌で「三浦大介百六つ」と言われるようになったそうです。
「東方朔」はアニメではお坊さんの格好をしていますが、実は前漢の武帝時代の政治家なので日本人ではありません。
伝説によると東方朔は、西王母の三千年に一度実る桃を三つも盗んで食したので、たいへんな長寿を得たらしいです。
三千年×桃三つで、九千歳というわけです。
「七億婆」というのは、明治34年に出版された「理科十二ヶ月:第五月植物園」という子供向けの雑誌に「七億萬歳の偉人」という題で、次のように書かれていました。(コマ番号46/53)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1919423/45

「お隣のお鶴さんは千年まで生きやうし、元町の亀蔵さんは萬年生きるでせう。それよりも貧乏横町のいつでも質屋へ往く婆さんは七億婆だよ。」

「七億婆」の由来は、「質に置く」から「七億(しちおく)」というダジャレらしいですね(笑)。
おそらくこの昔話は地元に昔から伝わる伝説とかではなくて、吉敷郡にお住いだった話者の方の創作だったのではないでしょうか?

araya  投稿日時 2011/11/28 22:58
『周防・長門の民話』(松岡利夫,未来社)に山口県吉敷郡(合併後は山口市)の話とありました。吉敷郡の阿知須・秋穂・小郡のどこかまでは分かりませんので、山口県の話としてください♪
ゲスト  投稿日時 2011/11/20 14:04
おーこれです!有難うございます。
タイトルが分かりません。  投稿日時 2011/11/20 14:01
何人かのお年寄りが集まってそれぞれの歳を自慢するのですが、最後のお婆さんが皆の出産で自分が取り上げたというオチのお話しがあったように記憶しています。タイトルが分かりません。「としくらべ」っぽいタイトルだったと思うのですが・・・。
マニアック  投稿日時 2011/10/24 21:06
あらすじを書けないのは、申し訳ありませんが、右側の写真の笑っている年よりは、浦島太郎ですよ。
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