No.0821
もちのしらとり
もちの白鳥
高ヒット
放送回:0516-B  放送日:1985年10月05日(昭和60年10月05日)
演出:三善和彦  文芸:沖島勲  美術:阿部幸次  作画:志村芳子
富山県 ) 26726hit
冷酷な長者が愛する娘のために用意した、突拍子もない婚礼の悲劇

昔、富山の下立(おりたて)村にどえらい長者がいた。

何百反もの田畑に米蔵酒蔵宝の蔵を七つづつ持ち、何十頭もの牛や馬、それに何百人もの使用人を使って、城のような屋敷に住んでいた。長者は使用人達の仕事ぶりを馬に乗って見て回り、少しでも仕事の遅いものがいると例え病人や老人でも容赦せず、お陰で使用人達は一年中休むことなど出来なかった。

こんな長者も一人娘だけには目がなく、姫や姫やと大層な可愛がりようだった。やがて姫は年頃の娘になり、万山(よろずやま)の板東長者のもとへ嫁ぐことになった。そこで長者はなんとしても誰も見たことがない程立派な婚礼にしてやりたいと思い、あることを考えた。

その日から全ての田圃に餅米の苗が植えられ、使用人達は夜明け前から日が暮れた後まで、前よりも一層ひどく働かされた。やがて秋になると、長者はとれた餅米で来る日も来る日も餅をつかせ、そうして出来た餅を、板東長者の家まで姫の歩く道にぎっしりと敷き並べさせた。

そして婚礼の日が来て、姫はゆっくりと餅の上を歩き始めた。その様子を、使用人達は遠くからじっと見つめているしかなかった。行列が中程まで来たとき、姫の背後から白い鳥が一羽飛び立った。と、思う間もなく、餅は次々に白い鳥に姿を変え、すさまじい羽音を立てて一斉に大空へ舞い上がった。姫の婚礼は、こうしてめちゃくちゃになった。

それからは長者の田畑には五穀が何も実らなくなり、使用人も次第にいなくなって、長者の屋敷にも住む者がなくなって荒れ果てていったという…。

(引用:狢工房サイト)


参考URL(1)
http://mujina.agz.jp/shiratori.html
ナレーション常田富士男
出典稗田菫平「富山県の民話」(偕成社刊)より
出典詳細富山県の民話(ふるさとの民話31),日本児童文学者協会,偕成社,1982年4月,原題「もちの白鳥」,採録地「宇奈月町」,再話「稗田菫平」
場所について黒部市宇奈月町下立(地図は適当)
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地図:黒部市宇奈月町下立(地図は適当)
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※掲載情報は 2011/2/11 22:30 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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ゲスト  投稿日時 2017/11/12 14:21 | 最終変更
婚礼って普通かごに入って連れてってもらうよね?
女の足であの踏みづらそうな道行くのも相当だわ
クラフト  投稿日時 2012/12/21 20:30
使用人たちが作った餅には、彼らの魂が
こもっていました。
手間暇かけて作った餅を娘に踏ませる
愚かな主人と何の躊躇いもなく餅を踏んで歩いていく
娘の姿を見て、
使用人たちの怒りが爆発した時、
餅が白鳥に姿を変え
娘の婚礼をめちゃくちゃにしたのです。

娘はどうしたのでしょうね。
食べ物を平気で踏んで歩いていくことを
やらかして
相手の家族に悪い印象を与えたはずですから
結婚は取り消されたでしょう。

愚かな主人も事件を機に何もかも失い
父娘は孤独で路頭に迷う一生を送ったに
ちがいありません。
のりくん  投稿日時 2012/7/21 21:19
下立は宇奈月温泉に行く途中で立ち寄ったのですが、写真を撮るのを忘れてしまいました。
次に行く機会がありましたら写真を撮って来ます。すぐ近くに発電所、発電施設がありましたね。二年前くらいでしたがあの時は赤い椀の朝日町や波よけ観音の親不知や十六人谷の宇奈月温泉とか回るところがいっぱいあって、その割にほとんど写真を撮れなかったという間抜けな旅行でした。
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