No.0819
まつやまのどうくつ
松山の洞窟
高ヒット
放送回:0515-B  放送日:1985年09月28日(昭和60年09月28日)
演出:古辺光治  文芸:沖島勲  美術:阿部幸次  作画:上口照人
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あらすじ

戦の後、落ち武者が村に逃げてきた。村人は同情して捕らえようとはしなかったが、助けるわけにもいかず近くの洞穴に隠れていることを見て見ぬ振りすることが精一杯だった。

ある夜、大豪雨のせいで落ち武者が隠れている洞穴が大岩で埋まってしまう。落ち武者は必死で助けを呼んだが、村人は落ち武者を助けると自分たちが咎められるので、身を切られるような思いでその声に耳を耳を塞ぐしかなかった。何日かして、とうとう声が聞こえなくなったので村人は、落ち武者が力尽きて死んだのだと思い、気の毒に思いながらもほっとした。

しかし、またしばらくすると埋まった洞穴の中から声がする。この前までの苦しげな声ではなく、悲しげに歌を歌っているのだ。その声は何年も途切れることがなかった。村人は恐れおののき、慰霊をしたが歌声はおさまらない。

何十年も経ったある日、突然洞穴を塞いでいた大きな岩がぐらりと動いた。信じられないことに、洞穴の中から、白骨化した落ち武者が岩を持ち上げるような格好で後に続いて出てきた。しかし、彼はどうみてもただの屍で、もう何の声も出さなかった。

久しぶりに太陽を浴びたその顔は、恨みも悲しみも最早無く、晴れ晴れとしていたという。

(引用/まんが日本昔ばなし大辞典)


ナレーション市原悦子
出典松谷みよ子(角川書店刊)より
出典詳細乱世に生きる(日本の民話 08巻),松谷みよ子,角川書店,1973年2年10日,原題「松山の洞窟」
場所について大仙市花館字松山の姫神公園(旧松山公園)
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地図:大仙市花館字松山の姫神公園(旧松山公園)
追加情報
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※掲載情報は 2011/2/11 22:30 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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KAIXA  投稿日時 2021/6/23 9:56
人によって、話の内容が違ってたりするんですけど別バージョンがあるんでしょうか?
Perenna  投稿日時 2021/5/21 23:43
この昔話は、「日本の伝説14・秋田の伝説」にも紹介されています。
「洞窟の落武者」という題名で、[注]には以下のように書かれています。
「この話は、後三年の役の、金沢の柵での戦の出来ごととの伝えもある。その方が舞台も近く、納得の行く説明がつくのだが、教えられた方を選んだ。」
また、伝説散歩でも、大曲市の姫神公園について紹介されています。
「同市の姫神公園は、市内はもちろんのこと、仙北平野が一望のもとに見渡せる景勝地だが、公園から登れる姫神山の山頂には、源義家と安倍貞任の娘との悲しいロマンスが伝えられている。花館の対岸にある松山には鶴羽形城があって、城主は安倍氏であったという。」
さらに、「姫神山の頂上に白い旗がたくさん立ち並ぶことがあるというが、これは生き埋めにされた鹿姫(安倍貞任の娘)の子の怨霊が立てるものといわれ、この白い旗を見た人は三年のうちに亡くなるとも伝わっている。」と書かれています。
白骨と化した安倍家の落ち武者が村人に祟りをなす、というエピソードは、これらの伝説が口伝えで伝承されるうちに変形したものらしいですね。
巨神兵  投稿日時 2020/12/23 22:56
これぞ日本の昔話。
歴史。
ショパン  投稿日時 2020/11/23 17:58
切ないからこそ見たくなる物語です。
こんはる  投稿日時 2020/10/19 20:45
この話これ見ない方がいいよ。「松山の洞窟」。
カニたま  投稿日時 2020/8/25 10:47
子供の頃に見て、凄く怖かった話です。
特に落ち武者の骨が岩を持ち上げるシーンが衝撃的で目に焼き付いて、夜に思い出しては怖がっていました。
子供の頃は理科室にある骸骨が非常に怖い存在だったので、この物語で骸骨が意思を持って動いたのが恐ろしかった。

日本昔話は、怖いものも含めて日本に伝わる話をアニメ化して届けてくれました。
物語を通じて、昔の人の生活を知る事が出来ました。
ある意味、郷土史のような物です。
yassan  投稿日時 2019/2/18 7:23
情報提供ありがとうございました。大仙市花館字松山の姫神公園にマップのピンを立てました。
Perenna  投稿日時 2019/2/16 22:07
この昔話と関係のありそうな、東北地方の松山という地名を調べてみたら、秋田県大仙市花館字松山が見つかりました。
大正元年に出版された「仙北郡案内」には花館村について、次のようなことが書かれています。(コマ番号49/135)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/947776

「本村西端に松山と称する一小山あり、太平山脈の一帯にして、雄物川に臨む、傳云、後三年の役、安倍貞任籠城したる所なりと、奇巌怪石相起伏し、老杉古松蒼鬱として天を掩ふ、(中略) 又山上洪福寺と称する一大伽藍ありしか、天長七年の大地震に崩陥し、地下の洪鐘時に鳴ると云ふ」

また、明治44年に出版された「秋田県案内」では、松山公園について以下の様に書かれています。(コマ番号145/230)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763203

「●松山公園(鶴羽形城趾) 安倍貞任の柵にして桜樹に富み花館村の名之に出づと貞任は義家に亡されて柵落ちたり傍らに貞任の菩提寺たる洪福寺趾あり徐福の塚もありしが天長の大震に埋没せり後名の如く松山となりしが花館村に於て桜樹を植ゑ公園を経営せり
●伝説 義家軍破れ神宮寺の柵に捕はれぬ貞任の末女鹿姫之を慕ひて通じ子を産み窃に遁れんとせり貞任之を聞知して大に怒り女及生後五十日の児を生ながら埋めたり後人之を悲しみ神に祭れりといふ」

松山公園は現在では、姫神公園と改称されたらしいです。
この昔話では落ち武者が洞窟に生き埋めになりますが、地元の伝説では安倍貞任の娘が源義家と密通して子を産み、怒った父親の貞任によって母子ともども生きながら埋められてしまったそうです。
ほかにも洪福寺というお寺が大地震で埋まってしまい、地下から鐘の音が聞こえたといった話もあるようです。
おそらくこの昔話は民間のあいだで、これらのいろいろな伝説が混ざり合って、生き埋めになった落ち武者の話として伝承されていったのではないかと思われます。

TOSHI  投稿日時 2016/1/30 20:54
怪談話を期待したけど、そこまでの怖さはなくて残念。
ラストに、まさかの怪力を披露する落ち武者の亡霊。生きてる間にこの力が欲しかった・・・・
ゲスト  投稿日時 2013/9/13 17:11
子どものころ、見て衝撃を受けた作品のひとつです。大人になって-再び出会えるとは。あの頃はただただ恐ろしかった話なのに、いま-見たら涙が出てきちゃいました。…悲しい話だなあ。


常田富士男の演技すごいな!子どもだけじゃなくて大人がみても結-構面白い!安っぽい怨霊話になってないのが、また良い。

生き埋めとは、は無念だろーね・・・色々考えさせられる話ですね。
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