Re: 松山の洞窟

松山の洞窟 についてのコメント&レビュー投稿
戦の後、落ち武者が村に逃げてきた。村人は同情して捕らえようとはしなかったが、助けるわけにもいかず近くの洞穴に隠れていることを見て見ぬ振りすることが精一杯だった。 ある夜...…全文を見る

Re: 松山の洞窟

投稿者:Perenna 投稿日時 2021/5/21 23:43
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この昔話は、「日本の伝説14・秋田の伝説」にも紹介されています。
「洞窟の落武者」という題名で、[注]には以下のように書かれています。
「この話は、後三年の役の、金沢の柵での戦の出来ごととの伝えもある。その方が舞台も近く、納得の行く説明がつくのだが、教えられた方を選んだ。」
また、伝説散歩でも、大曲市の姫神公園について紹介されています。
「同市の姫神公園は、市内はもちろんのこと、仙北平野が一望のもとに見渡せる景勝地だが、公園から登れる姫神山の山頂には、源義家と安倍貞任の娘との悲しいロマンスが伝えられている。花館の対岸にある松山には鶴羽形城があって、城主は安倍氏であったという。」
さらに、「姫神山の頂上に白い旗がたくさん立ち並ぶことがあるというが、これは生き埋めにされた鹿姫(安倍貞任の娘)の子の怨霊が立てるものといわれ、この白い旗を見た人は三年のうちに亡くなるとも伝わっている。」と書かれています。
白骨と化した安倍家の落ち武者が村人に祟りをなす、というエピソードは、これらの伝説が口伝えで伝承されるうちに変形したものらしいですね。
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