No.0790
こうこうざる
孝行猿

放送回:0496-B  放送日:1985年05月18日(昭和60年05月18日)
演出:上口照人  文芸:沖島勲  美術:関口良雄  作画:上口照人
写真あり / 長野県 ) 12737hit
撃たれた母猿を生き返らせようと必死に温める子猿の話

昔、信州の上伊那(かみいな)のある山奥に勘助(かんすけ)という猟師がおりました。勘助は、妻に先立たれ、一人息子の与三松(よそまつ)を大切に育てておりました。

猟師と言っても冬の間だけであって、普段は畑仕事をしていました。ある年、旱(ひでり)がおこり、畑の作物が残らず枯れてしまいました。勘助は、育ち盛りの与三松のためにも早く冬になって猟ができるのを心待ちにしていました。

そして冬になり、はやる気持ちを抑えきれず、夜明けを待たずに猟に出かけました。ところが獲物がどこにもおらず、必死で山の中を歩き続けていると、一匹の猿が木の間で吹雪から身を守るようにうずくまっているのを見つけました。

普段は猿など捕らない勘助でしたが、この時ばかりは猿を撃ち落としました。持ち帰った猿は、その日のうちに食べるとあたってしまうので、空腹を我慢して肉が硬くなってしまわないように囲炉裏の上の「ひだな」にのせてその日は、与三松とともに早く床に入りました。

それから、どれほど時がたったころか、囲炉裏のある部屋で何やら物音がして勘助は目を覚ましました。こっそり覗くと、三匹の子猿が囲炉裏の鈎を登ったり降りたりしているのです。よくよく見ていると、子猿は囲炉裏の残り火に手をかざして温め、鈎を登ってひだなの上に乗せられている死んだ母猿の傷口を温めて生き返らせようとしているのでした。

それを見た勘助は、寝ている息子を振り返り、子猿達から母親を奪ってしまった罪の重さにいたたまれなくなりました。夜が明けてから勘助は、神棚に猟銃を荒縄で縛って置き、「二度と猟はしない」と固く誓いました。

そして母猿の遺体を大切に抱えると、小高い丘にある傘松(からかさまつ)の根元に丁寧に弔い、山神様の祠を建てて供養をしました。勘助によって手厚く葬られた母猿のお墓は今も上伊那の奥、長谷村に今も残っておるということです。

(投稿者: もみじ 投稿日時 2012-7-11 16:17)


参考URL(1)
http://www.cbr.mlit.go.jp/mibuso/siryou_kan/05saru.html
ナレーション市原悦子
出典長野県
現地・関連お話に関する現地関連情報はこちら
場所について伊那市長谷市野瀬 柏木地区の孝行猿資料館(地図は適当)
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • このページを印刷
地図:伊那市長谷市野瀬 柏木地区の孝行猿資料館(地図は適当)
追加情報
このお話の評価7.5000 7.50 (投票数 4) ⇒投票する
※掲載情報は 2012/7/11 17:43 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
お話の移動 ( 40  件):   <前  1 ..  24  25  26  27  28  29  30  .. 40  次>  
コメント一覧
1件表示 (全1件)
のりくん  投稿日時 2012/8/29 22:22
現在伊那市旧長谷村柏木にあった孝行猿の猟師の家(孝行猿記念館)は普通の民家となって、中にあったものは全て柏木のふもと、市野瀬にある入野谷旅館に移されました。
新しくコメントをつける

題名:
ユーザ名:
投稿本文

投稿に関してのお知らせ

基本的に、誰でもご自由に投稿できます。お話の感想やコメントなどお気軽に投稿ください。
あらすじ投稿の場合は800文字前後を目安とした文章でお願いします。
投稿に対して一部IP規制を行っております。現在規制されているIPリストはこちらです。
※初めての方は「このサイトについて」もご一読下さい。(別ウインドウで開く)
※社会的倫理に反する書き込み、出会い系、営業的書き込みは、わりとすぐ消します。
※動画提供の呼びかけや要求はご遠慮ください、当サイトは動画データの有無とは関係ございません。

現地関連情報
出典本調査 facebook
Twitter

オンライン状況

23 人のユーザが現在オンラインです。 (19 人のユーザが お話データベース を参照しています。)

新着コメント(コメント24件)