No.0746
よこづかのしょうぞう
横塚の庄蔵

放送回:0469-A  放送日:1984年11月10日(昭和59年11月10日)
演出:芝山努  文芸:沖島勲  美術:大野広司  作画:吉本桂子
三重県 ) 16350hit
あらすじ

昔、ある村に千枚田という田があり、そのまん中に真四角の田があった。その田の前には庄蔵という者が住んでいて、家の横に塚があったので「横塚」とみんな呼んでいた。

この横塚には、大判小判が埋まっているという噂があった。しかしこの横塚を掘るためには、庄蔵の家の敷地を通らねばならず、村人はだれも横塚近くに寄りつけなかった。

ある日、村人が畑仕事を終えて帰っている時、庄蔵が小判を磨いているところを見かけた。その夜、村人は集まって、横塚の小判を掘るいい方法がないか考えた。「家の前を通るのがダメなら穴掘って地下から行けばいい」

次の日、村人たちは庄蔵の敷地を通らなくて済むように、地下から空から試したが難航した。するとその様子を見ていた庄蔵は、「そげな事せずとも、家の前通りゃいいのに」と言う。そこで村人たちはすぐに降りてきて、家の前を通って横塚を掘り始めた。

掘ってみると、瓶いっぱいに入った大判小判を発見した。しかし、今回庄蔵があっさり家の前を通るのを許したのには訳があった。実は庄蔵、塚を一度掘り起こし、偽物の大判小判を埋めておいたのだ。村人たちは、そんなこととは知らずに街へ買い物に行ったが、反物屋の店主に「その大判は、偽物ですよ」と言われる。

その頃、庄蔵は「あいつら今頃街で恥かいているだろうなぁ」と、笑っていた。庄蔵は、自分が掘り当てた大判小判を、誰にも盗られないように元の場所に埋めておいたが、庄蔵も本物の大判小判など見たことはない。何のことはない。実は庄蔵が最初に掘り当てた大判小判も偽物だったのだ。

しかし、庄蔵はその大判小判を使うことがなく死んでしまい、今もこの辺りでは、塚の下に大判小判が埋まっていると伝えられている。

 

(投稿者: KK 投稿日時 2012-10-7 10:00)


ナレーション市原悦子
出典倉田正邦(未来社刊)より
出典詳細伊勢・志摩の民話(日本の民話31),倉田正邦,未来社,1961年02月28日,原題「横塚の庄蔵」,採録地「一志郡」,話者「田中きく」
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※掲載情報は 2012/10/7 16:12 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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Perenna  投稿日時 2020/2/5 23:13
昭和7年に出版された「最新三重県案内」には一志郡中郷村について、以下のようなことが書かれています。(コマ番号52/118)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107076/46

「大字釜生田の地伝に曰く、往古神社跡に黄金の釜を埋めり、村民困らば掘るべしと言ひ伝へらるの古蹟等がある。」
また名所として、四十八塚(一志君族の古墳)、六代君墓(平維盛の息六代の潜居した所)、戸井左近墓(北畠の家臣にして、大旱の際、郷村民のため犠牲となった義人)などの墳墓があるそうです。
隣の豊地村にも、郡塚、黄金塚、兄弟塚、八郎塚などの古墳が多いと書かれています。
一志郡中郷村も豊地村も旧・嬉野町にあった地名で、現在は松阪市に編入されています。
松阪市嬉野地区には片野池古墳群や上尾戸古墳群、釜生田古墳群といった多くの古墳群があるらしいです。
この昔話の横塚も、黄金の釜伝説や戦国時代の埋蔵金や古代の古墳などが複雑にからみあって伝承されたものなのかもしれませんね。

里桜  投稿日時 2018/2/21 12:45
子供の頃、自分性の話しでよく覚えてたつもりでしたが、内容はすっかり忘れてましたwたまたまググった際ヒット。懐かしかったです。ありがとうござました。
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