昔、下関(赤間関、あかまがせき)の阿弥陀寺(あみだじ)というお寺に、びわ法師の芳一(ほういち)という男がいた。幼いころから目が不自由だったが、琵琶(ビワ)の腕は師匠をしのぐ程の腕前で、特に壇ノ浦の合戦の弾き語りは真に迫るものがあった。
ある蒸し暑い夏の夜、お寺で芳一がビワの稽古をしていると、身分の高い方からの使者がやってきた。ビワの弾き語りを聞きたい、というので、芳一は使者の後をついて行き、大きな門の屋敷に通された。さっそく芳一は、壇ノ浦の合戦を弾いて聞かせると、大勢の人がいるのかむせび泣く声が周囲から聞こえてきた。やがて女の声が聞こえ、「今宵より三夜間、弾き語りをして聞かせてほしい。またこの事は誰にも内緒にするように」と、告げられた。
朝、寺に帰った芳一は、和尚から不在を問い詰められたが、女との約束通り何も話さなかった。そこで和尚は、夜にこっそりと寺を抜け出した芳一を寺男に尾行させると、安徳天皇(あんとくてんのう)のお墓の前で、ビワを弾いている芳一の姿を見つけた。
平家の亡霊に憑りつかれていると知った和尚は、芳一の体中に経文を書いた。そして、誰が話しかけても絶対に声を出してはならない、と言い聞かせた。その夜、また亡霊が芳一を迎えに来たが、経文に守られた芳一の姿は見えなかった。しかし和尚が芳一の耳にだけ経文を書くのを忘れてしまったため、亡霊には両耳だけは見えていた。亡霊は、迎えに来た証拠に、と芳一の耳をもぎ取り帰って行った。
朝になって急いで様子を見に来た和尚は、芳一の両耳が取られている事に気が付いた。和尚は、かわいそうな事をしたと詫び、医者を呼び手厚く手当をした。傷が癒えた芳一は、もう亡霊に憑かれる事もなく、芳一のビワはますます評判になり、いつしか「耳なし芳一」と呼ばれるようになった。
(紅子 2011-9-27 22:15)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | (表記なし) |
DVD情報 | DVD-BOX第2集(DVD第8巻) |
VHS情報 | VHS-BOX第2集(VHS第17巻) |
現地・関連 | お話に関する現地関連情報はこちら |
場所について | 下関の阿弥陀寺(赤間神宮) |
本の情報 | サラ文庫まんが日本昔ばなし第6巻-第027話(発刊日:1976年9月1日)/童音社BOX絵本_第13巻(発刊日不明:1970~1980年頃)/国際情報社BOX絵本パート1-第015巻(発刊日:1980年かも)/講談社テレビ名作えほん第022巻(発刊日:1978年2月)/二見書房[怪談シリーズ]第4巻_ひゃ~、化け物だ(発刊日:1995年7月25日) |
サラ文庫の絵本より | 絵本巻頭の解説によると「山口地方の昔ばなし」 |
童音社の絵本より | 絵本巻頭の解説(民話研究家 萩坂昇)によると「山口県の昔ばなし」 |
国際情報社の絵本より | 松江(島根県)にすんで、日本人よりも日本を愛したといわれるラフカディオ=ハーン(日本名・小泉八雲)は、『KWAIDAN』(怪談)という本に、いろいろな日本各地の怪談話を紹介しています。日本の民話の採集をした最初の人といえるかもしれません。この本の『耳なし芳一』も、その中にでてくる話で、源平合戦の悲劇を背景に、芳一という目の不自由な琵琶弾きの体験を、ドラマティックにえがいています。平家の武者たちの亡霊から身を守るため、『般若心経』というわずか二百六十二字しかないお経を体にかいてもらった芳一の話は、期せずして、このお経の功徳を十二分に示した、象徴的なものになっています。(山口地方の昔ばなし) |
講談社の300より | 書籍によると「山口県のお話」 |
レコードの解説より | LPレコードの解説によると「山口地方の昔ばなし」 |
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