昔、熊本のある村に、百姓の源七爺さん一家が住んでいました。
ある日、源七爺さんの孫が子馬と一緒に村の石橋から落っこちて大怪我をしました。それから二日後の朝、横尾のじん平さんが馬を引いてこの石橋を渡ろうとすると、馬が橋の真ん中で動けなくなりました。翌日には、立山の庄六どんも石橋に足がくっついてしまい、きっとこれは幽霊橋だという噂が立ちました。
村人たちは「きっと何か訳があるに違いない」と考え、この石橋を調べてみることにしました。隣村からお坊さんを呼んでお経をあげてもらいながら、村人たちが橋の石板をひっくり返してみました。すると一枚の石板から「角田掃部助藤原久吉」という殿様の名前が刻まれた仏様が現れました。
昔、このお殿様は村に悪い病がはやった時に村人のために奔走し、とうとう自分が倒れてしまいました。それを悲しんだ村人たちが、この石仏を作ったのです。どうしてこの大切な石が粗末に扱われていたのかわかりませんでしたが、お彼岸が近くなりきっとお殿様が訴えていたのだろうと思いました。
そこで村人たちは石仏を橋の脇に安置し、石板をすっかり新しいものと交換しました。今でもこの石仏の前にはお線香の煙が年中絶えません。
(紅子 2012-1-13 3:10)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 熊本のむかし話(日本標準刊)より |
出典詳細 | 熊本のむかし話(各県のむかし話),熊本県小学校教育研究会国語部会,日本標準,1973年12月20日,原題「石仏の怪」 |
備考 | 石仏には「道泉禅門妙泉禅尼 永正十一甲戌犬年二月吉日 施主 祖 角田掃部助藤原久吉 敬白」と刻まれていた。石仏は泉田下駄店の前にある。(出典本) |
場所について | 熊本市北区植木町豊田(石仏はこの辺りか?) |
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