昔、ある山の中に美しい水をたたえた深い池があった。その池からそう遠くない所に、小さな山里があった。この山里のある家に、欲深な婆様と、気立ての優しい娘が住んでいた。
「鳥や牛に生まれたほうが、どれほどよかったかもしれねえな。」と、娘は思うのだった。娘は婆様に、くる日もくる日も機を織らされているのだ。娘の織る反物は、たいそうな銭になるので、婆様は娘を一日も休ませなかった。娘は手も足も凍え、かじかみ、ひびわれて、崩れていった。
ある日、窓辺に小鳥が迷い込んできた。娘は思わず見とれ、機をおる手足の調子を乱してしまい、縦糸がばっさりと切れてしまった。それを見た婆様は狂ったように叫び、「直さんうちは飯をやらない」と言った。
婆様が寝静まった夜中、娘は外へ出て泣き崩れていた。ふと気配を感じ顔を上げると、目の前に婆様の飼っている牛がいた。牛は、娘を背中にのせて、月の光のなかをゆっくりと歩きだした。そうして牛と娘の姿は、山の池のあたりで見えなくなった。それっきり誰もその姿を見たものは現れなかった。
長い年月が過ぎ、誰がつけたのか、牛と娘が消えた山の池は「牛池」と呼ばれるようになり、月の明るい晩に、機をおる音が聞こえてくるそうだ。
(投稿者: 十畳 投稿日時 2011-8-1 15:55 )
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 新潟県 |
場所について | 牛池(十日町市にある) |
本の情報 | 講談社テレビ名作えほん第047巻(発刊日:1981年5月) |
講談社の300より | 書籍によると「新潟県のお話」 |
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