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No.0468
いでのおみやのかたはのあし
井出のお宮の片葉の葦

放送回:0293-B  放送日:1981年06月13日(昭和56年06月13日)
演出:勝井千賀雄  文芸:沖島勲  美術:小関俊之  作画:勝井千賀雄
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あらすじ

むかし、伊勢の国の永井の里の辺りは一面の沼地だった。沼といっても濁った水ではなく、この沼はいつも澄んだ水をたたえていた。春には沼辺に白い花が咲き、温まった水は産まれたばかりの生き物をはぐくんだ。夏には蛍が沼の周りを飛び交い、秋には紅葉した木立が沼の水面を赤く彩り、人々の目を楽しませた。

ところで、この沼には井出の宮というお宮さんがあり、このお宮の辺りには不思議な葦が生えていた。それは、どの葦にも葉が片方しか付いていないのだ。

それについては、次のような話が残されている。冬、寒空に北斗星が輝く頃、長旅を続けてきた雁(かり)の群れがこの沼に飛来する。雁たちは、ここ永井の里で越冬するために、毎年北国から飛来するのだった。そして村人たちは、この雁の飛来を見て冬の訪れを知るのだった。

やがて、山の雪が解け始め春が近づくと、雁たちは生まれ故郷の北国へ帰らなければならない。一度飛び立てば広い海の上では休むことも出来ず、それは果てしない旅であった。そのため、途中でとうとう力尽き、海に落ちてゆく仲間がいても雁たちはどうすることも出来ないのだった。

それで雁たちは、北国に帰る日に井出のお宮の神様にお願いに上がることにした。雁たちは、「新しく生えた葦の葉を1枚ずつ下さい」と神様にお願いした。神様は雁たちの願いを聞き入れ、雁たちはそれぞれ1枚ずつ葦の葉を口のくわえ、北の空へ飛び立って行く。そして途中で飛ぶのに疲れると、海の上に葦の葉を浮かべ、その上で休むのだった。

こうした訳で、井出のお宮の葦は片方しか葉がないのだそうだ。そして、これは井出のお宮の神様の雁たちへのあたたかい思いやりなのだ。

(投稿者: やっさん 投稿日時 2011-8-27 9:20 )


参考URL(1)
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/minwa/hokusei/komono/index.htm
参考URL(2)
http://bankun.jp/staff_blog/%E4%BA%95%E6%89%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%9D%A5%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%EF%BC%81/
ナレーション常田富士男/市原悦子
出典三重県菰野町
場所について井手神社
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地図:井手神社
追加情報
講談社の300より書籍によると「三重県のお話」
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※掲載情報は 2011/8/27 9:57 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
9件表示 (全9件)
出前一丁  投稿日時 2021/10/29 0:38
 大人になってから「雁風呂」を何かで読んだ時、これに似た話をすでに知ってるな…と思ったのですが、どうやらこの回のようだとふと気付きました。(ちなみに1974年にサントリーのウイスキーのCMでも使っていたそうですが、私は生まれていないのでそれではないようです。)
 実際には雁には自分で持ってきた枝などで休むという習性は無いそうですが、こうして広く伝わっているのはなぜなのでしょう。そのように思わせる何かがあったのでしょうか。
 「片葉の葦」についても全国に様々な伝承があるそうですし、不思議です。
 現在は雁は三重県には渡らないようですが、渡り鳥のルートは変わるものらしいので、昔は来ていたのでしょうか。三重県でもらった葦を津軽や、もっと北のロシアまで持って行ったのかなあと考えると面白いです。
 文芸が素晴らしい回です。起承転結的な物語でなく、ゆったりした自然や由来の話をアニメーション化できたのは、同番組のすごいところだと思います。
ゲスト  投稿日時 2019/2/18 19:10
葦は冬には枯れないのですか?
ゲスト  投稿日時 2015/8/25 17:43
井手神社にある看板に書かれている昔話をそのまま掲載してある
井手神社に向かって左側にある 片葉の葦 の写真も掲載している
http://blog.ohhagi.com/archive/517
井手のお宮の片葉の葦 October 18 [Tue], 2011, 21:24 おはぎのブログ
ゲスト  投稿日時 2015/8/25 17:32
井手神社 永井の「大井湯用水の掛樋」の看板がある。
http://blogs.yahoo.co.jp/akira10032002/63499852.html
ゲスト  投稿日時 2015/8/25 17:18
菰野町永井 井手神社 例大祭(2013/10/14 ) 2013年12月22日12:09
http://blog.livedoor.jp/matsurist/archives/35089495.html

https://www.youtube.com/watch?v=wWEMCFkLdj0

井手神社とお祭りの様子がわかります。
ゲスト  投稿日時 2015/8/25 16:58
=井手神社 について=

狼神話 菰野町・山神碑群(やまがみひぐん)
 三重県の鈴鹿山脈の麓に広がる田園、菰野町では村々の集落ごとに碑を建て、山の神を祀っていました。その昔には、十戸から二十戸位を単位とする山の神請が結ばれ、年番で山の神の宿が決められました。12月7日の山の神の日は、山の神の宿の家に村中全部が集まって餅をつき、年番は鏡餅五つと神酒一升を下げて山神の森へ走り村を代表してお礼を申し述べます。
 山の神まつりがすぎると「萱山の口があいた」といい、山へ入りました。この山の萱は、ススキのことをいうのであり、一部に笹萱も生えていました。萱刈りの頃は12月の初め、一番日の短いときで、鎌とおいねに、竹の杖を持って瀬戸川に沿い萱場へのぼります。西菰野の刈場は水呑みの上の青木平で、山では1番高いところです。
 江戸時代の文人、司馬江漢はこの菰野に逗留していたおり、江戸屋という旅人宿の主人が菰野からの帰り道、狼3匹に襲われて大太刀回りをした話を書き留めています。菰野の裏山にあたる鈴鹿の山々は、こうした狼や熊などの危険と隣り合わせの場所でした。菰野の山の神祭は、鈴鹿の山に分け入って山仕事をする人々の安全を祈願するためだったのでしょう。
 集落ごとにあった山神碑は、現在では井手神社の境内や、音羽公園など数ケ所に集められ、山の神祭も絶えてしまいました。残念なことに地元のお年寄りでも、山の神祭を知っているのは稀になっています。

祭神  山の神
御利益   安全祈願など
祭礼  現在なし
名物  湯の山温泉
所在地  三重県三重郡菰野町音羽地区音羽公園内及び永井地区井手神社境内
アクセス 近鉄湯の山線「菰野駅」下車、車で約10分
http://www.raifuku.net/special/wolf/map/area/kinki/shrine/k-yamagami/k-yamagami.html
狼神話 hp
ゲスト  投稿日時 2015/8/25 16:20
【延喜式神名帳】井手神社 伊勢国 朝明郡鎮座

   【現社名】井手神社
   【住所】三重県三重郡菰野町永井338
       北緯35度3分23秒,東経136度31分36秒
   【祭神】大日霊貴尊 (合祀)武甕槌神 品陀別尊
       『再考』水霊
       『古屋草紙』『勢陽俚諺』『背書國誌』埴安姫神
   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創祀年代は詳らかではない
       明治6年3月村列
       同39年12月神饌幣帛料供進社

   【関係氏族】
   【鎮座地】当地は古来より長井御厨として神宮と所縁があり
         所在地に異論はない
   【祭祀対象】本来は水の神という
   【祭祀】
   【社殿】本殿片流造
       拝殿・手水舎・社務所・参籠所・倉庫
   【境内社】


田の中の島状の地。良く目立つ。
当地は古來より長井御厨として神宮と所縁がある。
所在地に異論はない。
創祀年代は詳らかではないが、明治6年3月に村列格、同39年12月には三重縣より神饌幣帛料供進社に指定される。
http://www.geocities.jp/engishiki01/ise/bun/is081115-01.html
延喜式神社の調査 より
ゲスト  投稿日時 2015/8/25 16:12
美しいお話ですね。
beniko  投稿日時 2011/8/27 10:00
いい話だなー。
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