No.0391
よなきいし
夜泣き石
高ヒット
放送回:0244-B  放送日:1980年07月05日(昭和55年07月05日)
演出:河内日出夫  文芸:沖島勲  美術:福井のり子  作画:河内日出夫
岐阜県 ) 26949hit
あらすじ

むかし、岐阜県の恵那郡蛭川から福岡の高山に通じる若山道という峠に一軒の茶屋があり、若い夫婦が住んでいました。夫の万作は山に仕事に行き、嫁のお筆(ふで)は茶屋をして働き者で仲の良い夫婦でした。しかしそんな夫婦にも悩みがあって、連れ添って7年も経つのに子どもが授からないことでした。

そんなある時、夜になってどこからか赤ん坊の泣くような声が聞こえました。翌晩も赤ん坊の泣く声が聞こえてきましたが、お筆は自分があんまり子どもが欲しいと思っているせいで聞こえる幻聴だろうと思い込むことにしました。

しかし、それから6日もその泣く声は続き、お筆はどうしても気になって家を抜け出して声の元を探すことにしました。そして赤松林の間にある大きな石にそっと耳を当ててみると、なんと石から声がします。泣いていたのは石だったのです。

お筆は泣いている石をそっとあやして、乳を石に含ませてやりました。赤ん坊の居ないお筆に母乳がでるはずもありませんが、それでもお筆は泣いている石をそうやってあやすのでした。

お筆は夫の万作には内緒にして、それから毎晩、万作が寝てから石をあやしに行くようになりました。するとしばらくして、お筆の乳が張るようになり石はピタリと夜泣きをやめました。お筆は子どもを授かり、数ヶ月ののちに元気な男の子を産んだのでした。

夫婦は、子どもを授かったのは石のおかげかもしれないといい、石を大切に祀りました。その石は「夜泣き石」と言われるようになり赤松林の中の祠にいまでもあって、子どもの授からない人、子どもの夜泣きを直したい人、乳が出ない人などに御利益があるとして、たくさんの人がお参りにくるようになったということです。

(投稿者: もみじ 投稿日時 2012-7-31 11:02)


参考URL(1)
http://ryutankokoku88.at.webry.info/201212/article_8.html
ナレーション市原悦子
出典赤座憲久(未来社刊)より
出典詳細美濃の民話 第一集(日本の民話51),赤座憲久,未来社,1973年09月10日,原題「夜泣き石」,採録地「恵那郡」
場所について中津川市蛭川の夜泣き石
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • このページを印刷
地図:中津川市蛭川の夜泣き石
追加情報
このお話の評価8.1429 8.14 (投票数 14) ⇒投票する
※掲載情報は 2012/7/31 12:35 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
お話の移動 ( 47  件):   <前  1 ..  5  6  7  8  9  10  11  .. 47  次>  
コメント一覧
4件表示 (全4件)
ゲスト  投稿日時 2022/2/15 14:08
数か月の後に出産、ということですから、
岩にかまう前に妊娠していたのは確実でしょう
やはりホルモンバランスが崩れる等による幻聴や奇行だったのではないでしょうか
アーリアジャースル二世  投稿日時 2022/2/14 13:10
1年後に放送された蛙と姉妹ともども、キャラデザがとても1980年(42年前!?)とは思えないような萌え作画なんだよなあ。
Perenna  投稿日時 2018/12/26 21:24
「夜泣き石」の昔話は岐阜県恵那郡だけではなく、長野県伊那郡にもいくつか伝わっています。
「伊那の伝説」(昭和8年)によれば、現在の飯田市や阿智村にも「子泣き石」とか「赤子石」などと呼ばれる「夜泣き石」が存在するそうです。(コマ番号112/179)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463977/112

恵那郡と伊那郡は、恵那山を挟んで地理的に近い位置にあります。
このあたりの中山道筋には、似たような昔話が広く伝承されているのではないでしょうか?

ナントカ  投稿日時 2018/9/6 20:24
河内日出夫さんの手により、こういった話が妙に艶があって色っぽく見えます・・・・。
投稿ツリー

スレッド

4件表示 (全4件)
現地関連情報
出典本調査 facebook
Twitter

オンライン状況

22 人のユーザが現在オンラインです。 (16 人のユーザが お話データベース を参照しています。)

新着コメント(コメント24件)