昔、六甲山の西南に、鷲林寺(じゅうりんじ、じゅうれんじ)という村がありました。
ある、ひどい日照りが襲った時、川下の村の農民が「川に水が流れてこないのは、川上の鷲林寺の者が独り占めにしてるからに違いない」と言いだしました。殺気立った川下の村の農民たちは、鷲林寺の水道を壊すべく、干上がった川沿いを登っていきました。
一方、川下の農民が殺気立って水道を壊しにくるのを、鷲林寺の村の者が見つけました。慌てて鷲林寺へ戻り村民に知らせ、川下の農民を迎え撃とうと皆が勢い込んできた時でした。「争えば、けが人どころか死人がでる可能性もある。どうかわしに任せて欲しい」と、紋左ヱ門という老人が名乗りをあげました。鷲林寺の村の者は、紋左ヱ門爺さんに全てを任せることにしました。
さて、水道にたどり着いた川下の農民は、意気揚々と水道に鋤や鍬をたてて壊し始めました。ふと、一人が近くにあった大岩をみて「うわぁ化物だ!」と叫びました。周りの者も、岩をみてびっくり。皆、大慌てて村へ戻って行ってしまいました。
紋左ヱ門爺さんは「そんなに怖かったかのぅ?」と言いながら、壊された水道をみました。そして、「そんなに壊れてはおらんから、ここだけはこのままにしておこう」と言って、壊された水道の一つの傷だけをあえて修復せずに、鷲林寺の村へ戻りました。
紋左ヱ門じいさんを、鷲林寺の村のみんなは心配して待っていました。紋左ヱ門爺さんは「川下の村のものは水道に傷一つつけなかった」と説明しました。どうやって川下の村の者を追い返したのか聞かれると、紋左ヱ門じいさんは「こーんな顔をしただけじゃ」と目や口の皮を引っ張って変顔をして笑い飛ばしました。
月明かりの中で逆光で見た川下の村の者には、それは恐ろしい顔に見えたのでしょう…。紋左ヱ門爺さんがあえて修復しなかった小さな傷のおかげで、それを機に水争いはなくなり、紋左ヱ門じいさんが座ったあの大岩はいつしか「紋左ヱ門岩」と呼ばれるようになりました。
(投稿者: もみじ 投稿日時 2013-1-8 21:10)
ナレーション | 常田富士男 |
出典 | 宮崎修二郎(未来社刊)より |
出典詳細 | 兵庫の民話(日本の民話25),宮崎修二朗、徳山静子,未来社,1960年01月31日,原題「紋左衛門岩」,採録地「西宮市」,採集「古市達郎」 |
備考 | 出典名にある「宮崎修二郎」は誤字で、正しくは「宮崎修二朗」 |
場所について | 西宮市北山町の紋左衛門岩 |
このお話の評価 | 8.60 (投票数 5) ⇒投票する |
⇒ 全スレッド一覧