No.0383
もんざえもんいわ
紋左衛門岩
高ヒット
放送回:0239-B  放送日:1980年05月31日(昭和55年05月31日)
演出:小林治  文芸:沖島勲  美術:門野真理子  作画:小林治
兵庫県 ) 22871hit
変顔で水争いを収めたお爺さんの話

昔、六甲山の西南に、鷲林寺(じゅうりんじ、じゅうれんじ)という村がありました。

ある、ひどい日照りが襲った時、川下の村の農民が「川に水が流れてこないのは、川上の鷲林寺の者が独り占めにしてるからに違いない」と言いだしました。殺気立った川下の村の農民たちは、鷲林寺の水道を壊すべく、干上がった川沿いを登っていきました。

一方、川下の農民が殺気立って水道を壊しにくるのを、鷲林寺の村の者が見つけました。慌てて鷲林寺へ戻り村民に知らせ、川下の農民を迎え撃とうと皆が勢い込んできた時でした。「争えば、けが人どころか死人がでる可能性もある。どうかわしに任せて欲しい」と、紋左ヱ門という老人が名乗りをあげました。鷲林寺の村の者は、紋左ヱ門爺さんに全てを任せることにしました。

さて、水道にたどり着いた川下の農民は、意気揚々と水道に鋤や鍬をたてて壊し始めました。ふと、一人が近くにあった大岩をみて「うわぁ化物だ!」と叫びました。周りの者も、岩をみてびっくり。皆、大慌てて村へ戻って行ってしまいました。

紋左ヱ門爺さんは「そんなに怖かったかのぅ?」と言いながら、壊された水道をみました。そして、「そんなに壊れてはおらんから、ここだけはこのままにしておこう」と言って、壊された水道の一つの傷だけをあえて修復せずに、鷲林寺の村へ戻りました。

紋左ヱ門じいさんを、鷲林寺の村のみんなは心配して待っていました。紋左ヱ門爺さんは「川下の村のものは水道に傷一つつけなかった」と説明しました。どうやって川下の村の者を追い返したのか聞かれると、紋左ヱ門じいさんは「こーんな顔をしただけじゃ」と目や口の皮を引っ張って変顔をして笑い飛ばしました。

月明かりの中で逆光で見た川下の村の者には、それは恐ろしい顔に見えたのでしょう…。紋左ヱ門爺さんがあえて修復しなかった小さな傷のおかげで、それを機に水争いはなくなり、紋左ヱ門じいさんが座ったあの大岩はいつしか「紋左ヱ門岩」と呼ばれるようになりました。

(投稿者: もみじ 投稿日時 2013-1-8 21:10)


参考URL(1)
http://tetsuwanco.exblog.jp/6804461/
参考URL(2)
http://www.geocities.jp/nachtmahr_3rd/F-tales/monzaemon.html
ナレーション常田富士男
出典宮崎修二郎(未来社刊)より
出典詳細兵庫の民話(日本の民話25),宮崎修二朗、徳山静子,未来社,1960年01月31日,原題「紋左衛門岩」,採録地「西宮市」,採集「古市達郎」
備考出典名にある「宮崎修二郎」は誤字で、正しくは「宮崎修二朗」
場所について西宮市北山町の紋左衛門岩
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • このページを印刷
地図:西宮市北山町の紋左衛門岩
追加情報
このお話の評価8.6000 8.60 (投票数 5) ⇒投票する
※掲載情報は 2013/1/9 9:46 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
お話の移動 ( 16  件):   <前  1  2  3  4  5  6  7  .. 16  次>  
コメント一覧
6件表示 (全6件)
華煌  投稿日時 2020/1/1 14:12
投稿日時 2017/4/8 6:42 のゲストさんのおっしゃるように、
【どちらの村にもカドが立たないよう、うまく納めてくれたおじいさん。
すごい知恵者ですね!】
紋左衛門さんはスゴイ人だと思います。

〈どちらにもカドが立たないよう、うまく納める。〉
紋左衛門さんに、亡き父の姿が思い浮かびました。
母の両親が息子夫婦に邪険にされて、末娘の嫁ぎ先によく来ていましたが、
父はよく話を聞いてあげていました。「辛い思いは忘れてここで明るく笑って過ごしてください。」
と言いひょうきんな話で場を和ませていました。
祖父母たちが来ると、父は母にご馳走を用意させ、楽しい会話を次々に繰り出していました。
祖父母たちは、いろいろな頼み事も父に頼んでいました。
そのうちの一つ、田舎への手紙の代筆を頼まれた時、
ササッと準備した父は便せんを前にして、
「文句があったら早う言わんかい!」と言って爆笑の渦となりました。
祖父母たちの憂いが一気に吹き飛びました。
ゲスト  投稿日時 2019/4/12 2:35
地元民です。
小学校の授業でこの話を元に自分で絵本を作ったことがあります。
詳しく話を忘れてたので懐かしい。
ゲスト  投稿日時 2017/4/8 6:42
どちらの村にもカドが立たないよう、うまく納めてくれたおじいさん。
すごい知恵者ですね!
水の取り合いで戦争になるのは弥生時代からあるけど、真っ向にぶつかったらどちらも疲弊するだけ。
ある程度妥協が必要なんですね…。
あえて壊れたところを直さず一部の水を川下に流したのも、全部せき止めたらまた同じことがおこるだけだし、
村の人には黙っていたのは、話せばこれもまたカドが立ってしまうから。
結果的に双方平和的に解決しているし。
これだけ知恵と広い視野、物事のバランス感覚のいい人は得難いですな。

ゲスト  投稿日時 2015/11/16 22:09
つーか川上の村は、実際に水をせき止めて占領してたんですよね。
ゲスト  投稿日時 2015/4/20 7:52
西宮に住んでいた頃、「お化け岩」と言われていました。この大岩が道路の真ん中にあるので、道路工事の際に撤去しようとすると事故が起きてしまい、どうしてもできないからだそうです。今は大切にされていますがこんな昔話があったなんて嬉しいですね。
匿名希望  投稿日時 2013/1/12 11:38
ジイさんの変顔だったという、オチはかなり圧巻でした!(笑)
投稿ツリー
6件表示 (全6件)
現地関連情報
出典本調査 facebook
Twitter

オンライン状況

54 人のユーザが現在オンラインです。 (48 人のユーザが お話データベース を参照しています。)

新着コメント(コメント24件)