昔、五月節句の日のこと。
一人の若者が犬を連れて狩りへと出かけた。ところがどうしたことか、この日の森は気味が悪いほど静まり返って、小鳥の羽音ひとつしなかった。「妙なこともあるもんだな」若者はそう思いながら、せっかく狩りに出たのだからと、山の奥まで入って行った。
すると若者の前に兎が一匹飛び出してきた。若者は兎を矢で射とめ、捕まえにいこうとした時、突然、木の上から赤裸の大男が飛び出したかと思うと、あっという間に若者の狙った兎をゴクリと飲み込んだ。大男はギラギラとした目で若者を見た。見るとそれは、頭に角が生えた鬼だった。若者は驚いて逃げ出した。あんな恐ろしいものがいたのでは、利口な動物たちが出てくるはずがない。若者は食われては困ると、一目散に元来た道を走った。鬼は地鳴りの様な声を上げて追いかけてきた。
そうして鬼に捕まりそうになった時、若者は石につまずいてポーンと宙にほうりだされた。落ちたところは、ヨモギの草原(くさはら)だった。遠くで若者の犬の鳴く声がする。その内、鬼はゆっくりと若者の方へやってきた。ところが、ヨモギの草原までやってくると、なにやらぶつぶつ呟きはじめ、草原に入るのをためらっている。「火だ、火だ、火の中にいる」やがて鬼は草原を遠巻きにぐるぐると回りはじめた。
若者が鬼の言葉を聞いていると、ヨモギの葉が、火が燃えているように見えるので近づけないことがわかった。若者がじっとしていると、鬼はどこかへ姿を消してしまった。若者はこの隙に草原をぬけて駈け出した。
「待て!」するとまた鬼が追いかけてきた。今度捕まればもう命はない、若者は走って走ってやっと村の見えるほうまでやってきた。その時、また何かに足をとられ、若者は湖のほとりの菖蒲の茂みに転げ落ちた。若者が観念すると、鬼は菖蒲の茂みを遠巻きに、また何かぶつぶつ言っている。「刀だ、刀がいっぱいだ、どうにもならん」鬼の目には菖蒲の葉が刀に見えるとわかり、若者は菖蒲を持って歩きだした。
「それ刀だぞ!刀だぞ!」鬼はいっこうに飛びかかってくる様子がない。無事に家にたどり着いた若者は、さっそく戸口に菖蒲を刺すと、村中の家にも菖蒲を刺して回った。「目が回る、目が回る・・・」とうとう鬼は菖蒲が怖くて村に近づけず、すごすごと森へ帰って行った。
それからというもの、この村では毎年五月五日になると、戸口に菖蒲を刺すようになったそうだ。五月節句の昔話だったとさ。
(投稿者: 十畳 投稿日時 2011-8-3 12:12 )
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 村田煕(未来社刊)より |
出典詳細 | 薩摩・大隅の民話(日本の民話28),村田煕,未来社,1960年08月25日,原題「鬼と若者」,採録地「種子島」,原話「田中シナ」,採集「田中成美」,種子島民俗より |
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