今からずっと昔のこと、海が南に退いて、やっと備前平野が現れた頃の話。
吉備の祖先はこの平野に新しく村を作るため、笹ヶ瀬川を下って山の方から下りてきた。辺りは見渡すばかりの葦原。いったいどこに村を作ろうかと人々が思案していると、一匹のカニが現れ、人々の前で15×10メートルの四角形を描きながら歩いた。これが、作ろうとしていたお宮の寸法とぴったりだったので、人々はそこにお宮を建て、村を作ることにした。これが今の蟹八幡である。
さて、葦原を開拓した土地は豊かな土地となり、村はどんどん栄えていった、ところが村が栄えるにつれ、鬼が現れ、豊かな村を襲うようになった。鬼は決まって、きれい盛り、働き盛りの娘たちをさらっていくのだった。
そんなある夜のこと、一人の娘が家を抜け出して、北に向かって山道を歩いて行く。娘は、このままでは自分も鬼にさらわれてしまうと思い、鬼が苦手とするヒイラギを探しに家を出たのだった。そして、とうとう7日目に美作の国の久常(ひさつね)で、おおせの森と呼ばれるヒイラギの大木を見つけた。
娘は早速ヒイラギの子株を持ち帰って、村の中心に植えた。すると、ヒイラギの子株を植えた日から、鬼はパッタリと姿を現さなくなり、村人たちは安心して暮らすことができた。
鬼はこの忌々しいヒイラギが枯れてしまうのを待っていたが、ヒイラギはどんどん大きくなるばかり。とうとうある晩、鬼は大岩をヒイラギにぶつけて潰してしまおうと考えた。鬼は、長さ30メートル幅10メートルもある大岩を持ち上げると、左足をのどろ山にかけ、右足は花尻山(はなじりやま)にかけて久米のヒイラギ目がけて大岩を投げた。
ところが力が余って、大岩は久米のヒイラギを通り越し、今保(いまぼう)の田の中に落ち、そこからさらに跳ね上がって、1キロも離れた高尾の山の頂上に乗っかった。これが烏帽子岩(えぼしいわ)になり、今保の田には大きなくぼみが出来て、これが今の八幡沼になった。そして、のどろ山と花尻山には、今も鬼が足を踏ん張った跡が残っているそうだ。
その後、久米のヒイラギは大木に育ち、魔よけにヒイラギの枝を持って帰り、門ごとに打ち付ける風習が残った。そして、鬼は今でもヒイラギが駄目になるのを待っているのだという。
(投稿者: やっさん 投稿日時 2011-10-8 17:12 )
ナレーション | 常田富士男 |
出典 | 稲田浩二(未来社刊)より |
出典詳細 | 岡山の民話(日本の民話36),稲田浩二,未来社,1964年03月15日,原題「鬼と小娘」,採録地「岡山市久米」,話者「貝原我璋」 |
場所について | 笹ケ瀬川近くの蟹八幡宮 |
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