むかしむかし、今の広島県豊田郡本郷という所の奥に広い野原があって、その真ん中に年老いた松が一本立っておったんじゃ。その松の木を挟んで、北の方にある村を北方、南の方にある村を南方と呼んでおったそうじゃ。
ある年のこと。この地方一帯に日照りと長雨が続いて、その松が枯れて跡形もなく消えてしもうたそうじゃ。
今まで松の木がたった一つの目印じゃったから、こうなると二つの村の境が分からんようになってしもうた。どちらの村人も少しでも自分達の土地を広くしたいもんじゃから、平和じゃった村に争いが始まったんじゃと。結局、北方の者は北の端から、南方の者は南の端から、それぞれ一番鶏が鳴いたのを合図に馬を走らせ、両方の馬が出会った所を村ざかいにしようということになったそうな。
その夜のこと。北方の庄屋さんは、馬と乗り手に御馳走をたくさん食べさせたんじゃと。じゃが、鶏にまでは気が回らんで餌をやるのを忘れてしもうたそうな。一方、南方の庄屋さんは、鶏にはたくさんの御馳走を食べさせたが、馬と乗り手には何も食べさせず早々に寝かしつけたんじゃと。南方の馬と乗り手はすっかり腹を減らして眠ったそうな。
こうして次の日の朝。腹を空かせた北方の鶏は、まだ暗いうちから目を覚まし鳴いたそうな。ところが、ゆうべ腹一杯食べた北方の馬と乗り手は、寝ぼけてとんでもない方向へ走って行ってしもうたんじゃと。一方南方では、ゆうべ腹一杯食べた鶏がぐっすり寝こんでしもうて、いつまでたっても鳴かんかったそうな。仕方なく庄屋さんが鶏を起こしに行き、ようやく馬と乗り手は出発したそうな。じゃが、ゆうべ何も食べんかった南方の馬はふらふらじゃったんじゃと。
そのうち、方向を間違えたことに気づいた北方の馬と乗り手は、慌てて野原めがけて駆けてきたそうな。そうして、南方の馬と乗り手が息も絶え絶えに、なんとか野原の真ん中あたりまでやってきた時に、目の前を北方の馬が物凄い勢いで通り過ぎて行ったそうな。
そこはちょうど昔、松の木が生えておった場所じゃったという。今も、広島県河内と本郷の間には、この北方と南方の地名が残っておるよ。
(投稿者: ニャコディ 投稿日時 2012-1-18 22:22 )
ナレーション | 常田富士男 |
出典 | 垣内稔(未来社刊)より |
出典詳細 | 安芸・備後の民話 第二集(日本の民話23),垣内稔,未来社,1959年11月30日,原題「北方と南方の村ざかい」,採録地「世羅郡」,話者「辰本かね、垣内一哉」 |
場所について | 広島県の南方 レストラン山陽付近(この辺りに松の木があった) |
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