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No.0173
みちびきじぞう
みちびき地蔵
高ヒット
放送回:0107-B  放送日:1977年10月29日(昭和52年10月29日)
演出:小林治  文芸:沖島勲  美術:青木稔  作画:シンエイ動画
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あらすじ

漁を終えた母親は、獲った魚と幼い息子・浜吉の手を引いて家路を急いでいた。

途中、疲れ果てて眠りかけている浜吉を起こしていると、目前の岩の上に「みちびき地蔵」と呼ばれる地蔵が見えた。この地蔵には「死ぬ人が前日にお参りに来る」という言い伝えがある事を母親は思い出していると、ちょうどそこへ村の婆さんがふわふわ浮かび上がりながら地蔵を拝み、空へ消えていく姿が見えた。

「あのお婆さんは病気だったからなぁ・・・その後ろの若い男は事故にでも遭うのかな・・・赤ん坊を抱いた若い女?お産に失敗してしまったのかな・・・」等と順番待ちで並んでいる人々を見ているうちに、母親はやけに大勢の人々がお参りに来ている事に気付く。

しかも、人々に混じって馬までも見えた。やがてそれらは空へ消えていった。「これは明日何かが起こるのかもしれない・・・」と恐ろしい気持ちになった母親は、既に目を覚ましていた浜吉とともに大急ぎで自宅へ帰った。この事を夫に話したが「狐にでも化かされたんだろう」と笑い飛ばされてしまった。

その次の日は、月の内一番潮が引く大潮の日だった。それもいつになく遠くまで潮が引いており、満潮近くの時間になっても潮が満ちる気配はなかった。浜吉親子を含む村中の人々が浜辺で楽しそうに海藻を取っていたが、浜吉の母親だけは昨日見た事が頭から離れず、不安が募っていた。

そんな時、急に大きな津波が押し寄せてきた。浜は騒然となり、浜吉一家も大急ぎで小高い丘へ駆け上がった。大波は浜辺のみならず村をも飲み込んで丘の前で砕け散り、一家は難を逃れた。「昨日見た光景は、本当だったんだ・・・」と母親は慄きながらも納得していた。

この時61人の人が亡くなり、6頭の馬が波に呑まれたと、当時の村の書付に記録されている。「みちびき地蔵」は死者を導くありがたいお地蔵様として、線香や献花が絶えなかったという。

(投稿者:綺羅津、引用/まんが日本昔ばなし大辞典)


参考URL(1)
http://www.oshima-kanko.jp/see/michibiki.html
ナレーション常田富士男
出典東北農山漁村文化協会(未来社刊)より
出典詳細みちのくの民話(日本の民話 別1巻),東北農山漁村文化協会,未来社,1956年06月10日,原題「導き地蔵」,原文「宮城県気仙沼市大島小学校長の小山正平」,話者「宮城県仙台市東北大付属小学校教諭の富田博」
場所について宮城県気仙沼市大島
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地図:宮城県気仙沼市大島
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※掲載情報は 2011/2/11 22:30 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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マルコ  投稿日時 2013/8/22 15:56
マルコが聴いた話なんですけど、この間の大地震の時にみちびき地蔵様は被害にあわれて、津波に押し流されてしまったそうです。だけど、地域の人たちの手で新しいお地蔵様が建てられたそうです。

みちびき地蔵とは?

 古くから気仙沼大島にあった「みちびき地蔵」は、死者を極楽浄土へ導くという伝承がありました。今回の大震災後で被災しましたが、この「みちびき地蔵」の再建の為、作家福井光先生による絵本の販売や、京都府綾部市の皆様をはじめ、多くの方々のご協力によって平成24年10月「みちびき地蔵開眼法要並びに地蔵堂落成式」が行われました。

 田中浜から徒歩で約5分のところにありますので、大島へご来島の際にはぜひご参拝ください。

http://www.oshima-kanko.jp/see/michibiki.html
に詳しい位置と情報が写真付きで載ってます!!
マイマイ  投稿日時 2012/8/14 6:04
警戒しておくっということ、備えあれば憂いなしということが大事になってきますね。
うちでは父が、少しの台風でもオーバーめに備えをしたりする性格なのでそれは大事なことだと私も思っています。
少しオーバーなくらいがちょうどいいと思います。
備えして、なにもなかったらいいけど備えをおこたってなにかあってからじゃ遅いですものね。
そして、このお話のように先人からの教えに感謝しつつ、
大事に大事に、守り抜いていこうと思いました。
beniko  投稿日時 2012/7/23 0:57
津波の経験談を大変興味深く読みました。今もまだ現在進行形な中で、本当は大変つらい事だったと思いますが、ライトな雰囲気で投稿いただいてありがとうございました。
未来は学び&知る事はできませんが、過去から学び知る事はできますね。私のような中年世代の役割だと思っています。
ゲスト  投稿日時 2012/7/22 19:11
この話を始めて見たのは2年くらい前だったか・・・。
ユーチューブで見たけど、メッチャ怖いと思った。気仙沼大島って・・・地元じゃん!すげー、日本昔話に地元のお話があったよー!・・・と、喜んだのは一瞬で、お話の内容は津波の話で、見ててとても怖かったのを覚えている。
その当時、宮城では何年も前から宮城県沖地震が起こると言われ続けていて、10年以内に宮城県沖地震が起こる確率は90%以上だと言われていた。そして、もし宮城県沖地震が起こった場合、沿岸部では10メートルを超える津波が確実に起きると言われていたのだ。
この話を聞いた時はかなり驚いた。「10メートルって・・・嘘だぁ、脅かしすぎでしょ。」「いや、来るらしいよ。10メートルは。いつ地震や津波が来てもおかしくないんだから、用心しないとね。」
しかし、そう言われてもピンと来ない。(もし、うちに10メートル級の津波が来たら気仙沼は水没だよ)などと思って、本気にしていなかった。・・・今考えるとなんとバカだったのだろうと思う。(我が家は海沿いにある。うちは、大体海抜10メートル位の所に建っている。)
そして、去年の3月11日。東日本大震災が起こった。
(風邪のため、自分は家で寝ていた)激しい揺れが治まったと思ったら、防災無線で、当地で震度6弱の地震が起こり、沿岸部では最大10メートルの津波が押し寄せる危険があるから、沿岸部の人間は大至急高台に避難するようにとアナウンスが入った。
・・・10メートルの津波?私の胸はドキッとした。やはり来るのか、10メートル級の津波・・・。しかし、馬鹿者の私は、それでもなぜか自宅を脱出して、より高い所を目指そうとはしなかった。本当に、馬鹿である。私は自室の窓から見える海に目を凝らしていた。
初めの数分は海に変化は見られなかった。しかし、10分くらいすると、少しずつ潮が引き始めた。(あっ、潮引いてる・・・?)と、思ったらまるでお風呂のせんを抜いたかのように、見る間に潮は引き、岸壁につけてある小船が潮が引いていく勢いでぐらぐらと大きく揺れていた。海面はいつもの半分くらいまで下がっていた。そして、海面が下がったと思った次の瞬間には海面がゆっくりと上昇し始め、気が付いた時にはいつもの2倍くらいの高さにまで海水が上がっていた。家の前にある防波堤は海水に浸かり、頭半分だけ出している状態となった。
いよいよヤバイと思った次の瞬間、隣で様子を見ていた家族の者が叫んだ。「津波だ!」
私は驚いて目を凝らすと、はるか遠くにそれらしき巨大な波が見て取れた。我が家からは大島が見えるのだが、大島に先に波がぶつかった。どうしよう・・・と、思っているうちに波はあっという間に防波堤を乗り越えて我が家に向かって突進してきた。
波はあらゆる物を巻き込んでいた。車、養殖いかだ、小型ボート。でも、一番驚いたのは民家が波に乗って、こちらに向かって来た事だ。これには本当に驚いた。私は家族の者と2人で家から脱出し、(遅すぎ!)命からがら高台へと逃げのびた。幸い、今住んでいる家はなんとか津波に流されずに済んだが、幼い頃、まん日を見て育った家は今回の津波と火災の被害の最もひどかった地区にあったため、消失してしまった。
今年の7月の初め、1年4ヶ月ぶりに昔の我が家があった場所へ、家族の者と一緒に車で行ってみた。「あの辺りは相当ひどいよ、何にも残ってない。」と、聞いてはいたが、現実は私の想像をはるかに超えていた。昔の我が家はすでに無くなっていた。それどころか、私の知っている街はそこには無かった。車を走らせてみるが、どこまでいっても何も無い。建物の基礎ばかりがあり、時々大きめの建物だけが点々と残っている。まるでゴーストタウンのようであった。あまりに何も無いので、車を走らせているうち、今自分達がどこを走っているか分からなくなってしまった程である。(これは本当にショックだった。)

私が今回の災害から学んだことは、災害に対する日々の心構えが大事だということだ。
津波の恐ろしさは、このみちびき地蔵も含めて、地元のおじいさんやおばあさんが色々な昔話を通して私に教えてくれた。
しかし、わたしは愚かにも津波に対する危機意識が低すぎた。津波というものを甘くみていたのかもしれない。あるいは、津波は怖いものだけど、まさか自分がそんな災害に遭うなんて事はないだろうとタカをくくっていたのかもしれない。(この、まさか自分が津波被害にあうなんて・・・と、いうような事を言う人は私の他にもたくさんいた。)

私が今回の災害で感じた事は、いざという時は自分だけが頼りなのだという事だ。
どれだけ津波の恐ろしさを教えられても、私のように(汗)それをまともに受け取らなければ、災害から自分の身を守る事は難しくなる。常日頃から災害に対する危機意識や、それに対する備えをしておけば、いざ災害にあっても助かる可能性は大幅に高まるのだから。
あのような津波は二度と起きてほしくない。けれど、当地の歴史を振り返れば分かる。きっと、また津波はやってくるのだと。
幸運にも生き残った私達は、後世にこの災害の記憶を伝え、そしていつかまたやってくるであろう津波に対しての備えをしなくてはならないのだと思う。
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