京都の民話(未来社,1965年10月10日)に、同タイトル名のお話があり「このお話かもしれない」ということであらすじを書いてみます。
「戒岩寺の白犬は、ようお使いをする。今日も文箱を下げて文殊様や」
「ほんまに利口な犬やな」
宮津の町の人はそういって、戒岩寺の白犬を褒めない者はなかった。
当時、戒岩寺は智恩寺の奥の院と呼ばれ、文殊堂のある智恩寺の住職も兼ねていたが、和尚の足腰が弱ってからは、智恩寺を納所僧に任せ、日々の用向きは手紙で済ませていた。その手紙を運んでいたのが犬のシロだった。元は捨て犬だったが、和尚がかわいがり、いつの間にか和尚の言葉を聞き分けるようになっていた。寺の小僧もいたが、返事を渋ったり、道草を食ったりだったので、和尚も使いを果たすシロを殊の外かわいがっていた。
「シロよ、今日の手紙は返事をもらってくるんやで」と言うと、シロはワンと吠えて尻尾を振り立てた。それを見ては「ええ子や」と和尚が頭をなでてやり、これを見て寺の小僧は「これでは外に羽を伸ばしにも行けんわい」といつも苦々しく眺めていた。そして和尚からは「お前もシロを見習え」「シロの爪の垢でも煎じて飲め」と言われるから、たまったもんではない。今に見てろと思うことしきりだった。
そんなある日、和尚がシロに「急ぎの手紙じゃ、夕方の鐘が鳴る前には帰ってきてくれ」と言って使いに出した。これを盗み聞きした小僧は、シロに一泡吹かせてやろうと、その日は暮れ六つの鐘をいつもより一刻早く撞いた。ゴーン、ゴーン…。その頃、智恩寺の文殊堂にいたシロはこの鐘の音に驚いた。シロは慌てて寺を飛び出して、一目散に走った。そして、寺の庭にいた和尚の元にたどりつくと、シロは鐘の音とともに力尽き、息絶えてしまった。
これには和尚も驚き、「鐘が鳴り終わる前にといったばかりに頑なに守って…」と泣き崩れた。しかし、暮れ六つにはまだ早いことに気付き、鐘堂を見ると、小僧が泣きながら降りてきて「私が悪かった、私が悪かった」と手をついて謝り、悪戯の次第を話した。和尚は「わしがえこひいきをしたばかりに…」と言って、小僧を叱らなかった。そして、小僧とともに墓を立ててシロを弔ってやった。それは今も宮津の犬の碑として伝えられている。
(投稿者: araya 投稿日時 2012年1月21日 5:03 )
※未来社の「犬の碑の話」ではシロのいた寺を「海厳寺」と表記していたが、聞き書きによる誤記と判断できるので、粗筋では伝承が伝わる実在の「戒岩寺」に改めた。また、犬の呼び名が「白犬」「白っこ犬」「白」と一定しなかったので、便宜上から名前をシロとして統一した。
ナレーション | 未見のため不明 |
出典 | クレジット不明 |
出典詳細 | 京都の民話(二反長半,未来社)によると、採録地は宮津市との事。舞台は戒岩寺(飼い主)~智恩寺(使い先)。 |
場所について | 犬の碑(宮津市杉末) |
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