No.0162
かみすくさと
紙すく里

放送回:0100-B  放送日:1977年09月10日(昭和52年09月10日)
演出:藤本四郎  文芸:沖島勲  美術:内田好之  作画:高橋信也
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あらすじ

昔、土佐の山奥の二淀川のほとりに、成山という小さな村がありました。その村に、養甫尼(ようほに)という一人の尼さんが住んでいました。

もともと養甫尼は、立派な殿様の奥方だったのですが、戦に敗れて殿様も死んでしまったため、この世を憂いて尼になったのでした。養甫尼の所に、甥の三郎左(さぶろうざ)も住みつくようになり、二人で静かに暮らしていました。

ある日、養甫尼が山で薪を集めていると、傷ついた武士が倒れていました。養甫尼が手厚く介抱してあげると、その男は元気を取り戻しました。武士は、伊予の国の新之丞(しんのじょう)という男で、山に生えている楮(こうぞ)の木から紙を作る方法を知っていました。養甫尼と三郎左はさっそく紙すき小屋を作り、夢中になって紙を作りました。

やがて春になり、養甫尼は桜の花を入れた紙を作ってみました。それは見事な仕上がりで、季節の草花を染めあげていつしか「七色紙」といわれ、幕府に献上する「土佐の特産品」としての貴重な物となりました。殿様から紙の役人として任命された三郎左は大喜びでした。

ところが、突然に新之丞が国へ帰りたいと言い出しました。もし、新之丞がここを出て行ったら「七色紙の秘法」がよそへ漏れてしまうと心配した三郎左は、見送りの途中で「坂ノ峠」まで来たところで新之丞を刀で切り殺してしまいました。

その後、養甫尼や三郎左がどうなったかわかりませんが、土佐の成山は今も紙すきの里と呼ばれています。

(紅子 2011-10-8 22:51)


ナレーション市原悦子
出典クレジット不明
出典詳細権力の残酷(日本の民話 第10巻),清水真弓,角川書店,1973年6年25日,原題「紙すく里」※かもしれない
場所について成山和紙の里公園
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地図:成山和紙の里公園
追加情報
本の情報サラ文庫まんが日本昔ばなし第26巻-第130話(発刊日:1978年11月24日)
サラ文庫の絵本より絵本巻頭の解説によると「四国地方の昔ばなし」
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※掲載情報は 2011/10/8 22:51 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
4件表示 (全4件)
のんの  投稿日時 2014/11/8 17:32
養甫尼は土佐を治めていた長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)の妹で、夫である土佐・波川(はかわ)城主波川清宗が元親に対する謀反で切腹。養甫尼は妹ということで許され、出家して成山に隠棲。その後、長宗我部家が滅亡すると高野山へ旅だったと言われています。残念ですが、本名や生没年は不詳だそうです。
ゲスト  投稿日時 2014/10/13 20:00
弟切草伝説のように、外部に秘密を漏らさないために殺すというのはよくある話だけど、
この話の場合、もし殺害以外に手段を選ばないならまだ若そうな尼さんに還俗してもらい、
武士と再婚してこの地に縛り付けるという手もあっただろうな
まあ殿様の未亡人だから身分が違いすぎるだろうけどさ
マニアック  投稿日時 2011/12/1 20:14
ナレーションは、市原悦子。
マニアック  投稿日時 2011/11/25 20:18
やったー!ついに見つけたー!実は自分が番組で一番最初に見た作品が、これだったのです。記憶にあったのは、尼さんと三郎左、新之丞の顔、そして、三郎左に殺される新之丞のシーンだけで内容は、まったくわかりませんでしたが、こんなあらすじだったんですね。いずれまた、タイトルを教えてもらおうと思いましたが、本当によかったです。感謝しています。
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