昔、兵庫県淡路島の辺りでは亡くなった人が遠い極楽へ向かい何日も旅をすると思われていた。貧しい百姓の長助も働きづめだった父親を亡くしたばかりで深く悲しんでいたが、長助の叔父は極楽に着けば生きていた時よりも幸せに暮らせるだろうと長助を慰めた。
叔父に励まされ長助は安心して畑仕事に打ち込めるようになったが、ある夜長助の枕元に極楽に旅立ったはずの父親が現れる。父親は極楽への道を歩いていたのだが、歩き続けてから三十五日目頃にようやく極楽が見えたかと思うと、恐ろしい餓鬼(飢えと乾きに苦しむ亡者)達が食い物をせがみ襲ってくるので引き返してきたのだという。
極楽に辿り着くには餓鬼達の腹を満たすしかないと父親が言うので、早速長助は十三個の握り飯を作ったが霊となった父親にはこの世の物は渡せない。しかし父親が東山寺(とうざんじ)の裏山があの世とこの世に通じている事を思い出し、長助は大急ぎで東山寺に来ると閻魔堂に四つ、六地蔵に六つの握り飯を供え父親の無事を祈った。
そうして長助はいよいよ東山寺の裏山へ上ったが、ここが餓鬼達のいる難所に通じていると思うと恐ろしくなり、長助は後ろ向きになって残り三つの握り飯を坂へ転がした。三つの握り飯は長い坂を転がると、やがて餓鬼達の前に落ちてきた。すると餓鬼達が握り飯の奪い合いを始めたため、その隙に父親は餓鬼達の前を通り抜け無事極楽へ行く事ができたのであった。
長助がこの出来事を叔父に話すと、叔父もそれはぜひ村人達にも伝えるべきだと喜んだ。この事があってから淡路島では三十五日目の法要の際、親戚一同で寺にお参りした後持ってきた十三個の握り飯のうち四つは閻魔堂に、六つは六地蔵に、残った三つは紙に包んで東山寺の裏山から後ろ向きに転がし、振り返らずに帰る習わしとなった。この三つの握り飯を餓鬼達が追いかけているうちに、亡くなった人達は無事この難所を通り抜ける事ができると言われている。
(投稿者: お伽切草 投稿日時 2012-11-18 16:23 )
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 兵庫の昔ばなし(三丘社刊)より |
出典詳細 | 里の語りべ聞き書き 第14巻,川内彩友美,三丘社,1993年06月14日,原題「淡路の三十五日目の山参り」 |
DVD情報 | DVD-BOX第12集(DVD第56巻) |
場所について | 東山寺(とうさんじ) |
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