昔々、ひどいなまけ者の甚六(じんろく)という男がいた。甚六は働きもせず、日がな一日、働かずに金を手に入れることばかり考えていた。
そんななまけ者の甚六であったが、神棚だけはいつもピカピカに磨き、「神さま、金がほしいよ。」と神棚に向かってお願いばかりしていた。
こんな事を毎日繰り返していたので、さすがの神様もとうとう根負けしてしまい、ある夜、神棚から出てきて「ワシは忙しいんじゃ。どのくらい金が欲しいのか言うてみい。」と言う。甚六は喜んで、蔵いっぱいの金が欲しいと答えた。すると神さまは、「そんなもんでええのか?それなら明日の朝、外に出てみるがよい。」と言って消えてしまった。
さて、甚六が翌朝起きてみると、果たして神様の言ったとおり、家の横には大判小判が山のように入った蔵がある。甚六は大喜びするが、その喜びもつかの間。甚六は、神さまが「そんなもんでええのか?」と言った言葉を思い出し、もっと沢山お願いするべきだったと後悔した。
甚六は神棚の前でまた神様にお願いした。そして神様が現れると「やっぱり金が入った蔵が、畑いっぱいに欲しい。」と言った。すると神様はまた「なんじゃ、そんなもんでええのか?」と言う。そして、翌朝には金の入った蔵が畑いっぱいに建っている。
しかし畑いっぱいの蔵を見ても、甚六の欲はとどまる所を知らない。甚六はまたも神様を呼ぶと、今度は「世の中すべてをワシの金にしてくれ。」と頼むのだった。神様は「すべて金でいいんじゃな?」と念を押し、神棚の中に消えてしまった。
甚六の周りで特に変わった様子はなかったが、甚六が何気なく飼い猫のタマを撫でると、なんとタマは金塊に変わってしまった。「すべて金」とは、触る物すべてが金になるという意味だったのだ。甚六は大喜びして、着ている着物から布団、箸や茶碗まで、そこらじゅうの物に触れて金にしてしまった。
さて、そうこうしている内に甚六は腹が減ってきたので飯を食べようとする。ところが、甚六が飯を口に入れた途端、米つぶは金に変わってしまって食べられない。畑で大根を引き抜けば、これも金になってしまう。せめて水でもと、水を口にすれば、これも金になってしまい飲めない。
このままでは飢え死にしてしまうと思った甚六は、ようやく自分の欲深さを反省して、泣きながら神様に詫びた。甚六は腹が減りすぎて、そのまま神棚の前で気を失ってしまった。
甚六が目を覚ますと、そこは元のあばら家で、金の入った蔵も消えている。夢を見ていたのかと思えば、猫のタマが1枚ばかりの小判をくわえていた。こんなことだったら、蔵いっぱいの金で我慢しとけば良かったと思うも後の祭り。その後、甚六がいくらお願いしても、神様が出てくることは二度となかったそうな。
(投稿者: やっさん 投稿日時 2011-10-29 17:56 )
ナレーション | 常田富士男 |
出典 | 福井のむかし話(日本標準刊)より |
出典詳細 | 福井のむかし話(各県のむかし話),福井のむかし話研究会,日本標準,1977年12月10日,原題「すべて金」,話者「谷口市松」,再話「藤井則行」 |
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