平安時代の話。
和泉式部(いずみしきぶ)は夫とともに丹後の国に赴任していた。そのころ宮中では歌会が開かれており、不在の母、和泉式部に代わって娘の小式部内侍(こしきぶないじ)が出席していた。
列席者の一人が、小式部内侍に母からの便りがあったかどうか尋ねると、小式部内侍は、母からの便りはまだないが、丹後の天の橋立については聞いていると答えた。御簾の中でこれを耳にされた帝(みかど)は、天の橋立の由来について小式部内侍にお聞かせになった。
昔々、まだ日本が出来て間もないころ、天上の神様たちは眼下の日本列島をご覧になり、大変よくできた、美しい国だと思われた。こうなると、地上に降りてみたくなるのが人情、いや神様のお気持ち。それで、神様の中でも一等偉い大神さまに頼んで、地上に降りるはしごを架けてもらうことにした。
大神さまは、「本当に必要な時にだけ使うこと。」という条件をつけて地上に降りるはしごをお作りになった。神様たちは喜んで下界に降りて行くと、そこには既にたくさんの人々が神様が降りてくるのを待っていた。そして地上では、神様たちを囲んでの飲めや歌えの大騒ぎになった。そこで神様たちは、きれいな娘たちに天上の世界を見てみたいとせがまれた。
神様たちはこれを断りきれず、大神さまにみつからないように静かにすることと娘たちに言い、一緒にはしごを上って行った。ところが娘たちは、はしごの上から眺める下界の美しさに大きな声で「ワー!!きれい。」と口々に言ったので、これが大神さまに見つかってしまい、はしごは大神さまの怒りにふれて粉々に砕け散ってしまった。そして、そのはしごの一部が今の宮津湾に架かり、天の橋立になったということだ。
小式部内侍はこれを聞いて、おかしな話だと思ったが、ここで一首詠んだ。
「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」
天の橋立を巧に詠みこんだこの歌は、会場の喝采を浴びた。
(投稿者: やっさん 投稿日時 2011-6-17 17:29 )
ナレーション | 常田富士男 |
出典 | 二反長半(未来社刊)より |
出典詳細 | 京都の民話(日本の民話41),二反長半,未来社,1965年10月10日,原題「天のはしご、天の橋立」,原話「白岩貞吉」 |
場所について | 天の橋立 |
このお話の評価 | 9.50 (投票数 2) ⇒投票する |
⇒ 全スレッド一覧