昔、備前の国藤戸という寂しい漁村に漁師の親子が住んでおりました。息子の名は「与助」と言い、大変な孝行者でした。
平穏に暮らしていた親子でしたが、源平の合戦が激化して平家が一の谷に逃げてきたことから、源氏の兵が藤戸の村に陣をかまえるようになりました。
ある冬の冷たい雨が降っていた晩のこと。与助が一人で漁にでかけ船で準備をしていると、甲冑姿の鎧武者が現れて「浅瀬の場所」など内海について詳しく聞いてきます。
与助は、丁寧に侍たちの質問に答えてやりました。浅瀬の場所を聞いた侍たちは、さらに分かりやすいように「瀬踏み」をして欲しいと頼み、与助は断るわけにもいいかずに、冬の冷たい海に裸になって入り、浅瀬に目印の竹をつける作業を手伝いました。
ところが、その作業が終わって与助が漁に戻ろうとすると、大将の佐々木は「このような下郎はどこで誰に漏らすやもしれん」と口封じのために与助を斬りつけたのです。
漁師仲間が内海に浮かんでいた与助を見つけ、母親が駆けつけた時には既に与助は冷たくなっていました。あとから与助を切りつけたのは「佐々木」という武将であることがわかりましたが、母親にはどうすることもできませんでした。
「与助が一体何をした…おのれ佐々木」
母親は何を思ったのか裏山に駆け上ると「佐々木憎けりゃ笹まで憎い。佐々木よ与助を戻せ」と言いながら笹の葉を引きちぎりはじめました。
母親は全身血まみれになっても笹の葉を引きちぎり続け、とうとう広かった裏山の笹はひとつ残らず葉を引きちぎられてしまいました。後にこの話を聞いた佐々木は、流石に己の行為を悔いたのか写経をしたり、与助の霊を慰めるためお堂を立てたりしました。
裏山の笹はそののちも全く生えることはなく、村人はこの山を誰ともなしに「笹無山」と呼んだそうです。
(投稿者: もみじ 投稿日時 2012-8-6 15:23)
ナレーション | 常田富士男 |
出典 | 稲田浩二(未来社刊)より |
出典詳細 | 岡山の民話(日本の民話36),稲田浩二,未来社,1964年03月15日,原題「笹無山」,採録地「倉敷市」,ささなし山、藤戸町誌より |
場所について | 岡山県倉敷市藤戸町天城の笹無山(周辺) |
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