No.1277
るすがいわ
るすが岩
高ヒット
放送回:0807-B  放送日:1991年08月03日(平成03年08月03日)
演出:小林治  文芸:沖島勲  美術:千葉秀雄  作画:柳田義明
山梨県 ) 24461hit
あらすじ

昔、甲州の河口湖畔の大石村に大火が出て多くの家々が燃えた。火事の後、復旧工事のためたくさんの大工が村にやって来た。

その大工の中に、河口湖の向こうの小海村の幸右衛門(こうえもん)という大工もいた。何ヶ月も大石村にとどまるうちに、幸右衛門と大石村の娘おるすは愛し合うようになっていた。だが、幸右衛門には親の決めたいいなずけが小海村にいたのだった。

そして工事が終り、幸右衛門が小海村へ帰る日となった。おるすは幸右衛門に「お嫁にしてよ」と言ったが、幸右衛門は「百晩欠かさずオレの所へ通って来たら、夫婦になってやる」と、適当な返事をして小海村へ帰って行った。

おるすは幸右衛門の言葉を信じ、それから毎晩たらい舟に乗り河口湖を渡った。おるすは、幸右衛門が灯す「勝山明神の灯」を頼りに、雨が降っても風が吹いても欠かさず通い続けた。おるすのあまりの執念に、幸右衛門はそのうちうとましくなってきた。

そしてとうとう百日目の晩になった。その晩は嵐で、おるすは勝山明神の灯だけを頼りに、たらい舟をこいでいた。だが幸右衛門は「この嵐じゃまさか今夜は来ないだろう」と考え、自らの手で灯を消してしまった。

目印を失ったおるすのたらい舟は、湖の中程で立ち往生し、やがて岩にぶつかり沈んでしまった。そしておるすはそのまま水死してしまった。翌朝、おるすの死を知った幸右衛門は、その夜、闇に紛れてどこへともなく姿を消してしまった。

そのおるすの舟がぶつかった岩を「るすが岩」と言うようになった。

(引用/まんが日本昔ばなし大辞典)


参考URL(1)
http://blogs.yahoo.co.jp/yyabe/28988856.html
参考URL(2)
http://design-archive.pref.yamanashi.jp/oldtale/2722.html
ナレーション常田富士男
出典山梨県
場所について富士河口湖町大石 河口湖畔の留守が岩
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • このページを印刷
地図:富士河口湖町大石 河口湖畔の留守が岩
追加情報
このお話の評価7.8000 7.80 (投票数 5) ⇒投票する
※掲載情報は 2011/2/11 22:30 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
お話の移動 ( 30  件):   <前  1 ..  23  24  25  26  27  28  29  30  次>  
コメント一覧
8件表示 (全8件)
Perenna  投稿日時 2020/10/17 23:43
この話と似たような昔話は、「近江の民話」(未来社)にも収録されています。
「比良の八荒」という話です。
「むかし、比良山のふもとの、湖に近いお寺にのう、日夜修業に励むひとりの若い僧がいたんじゃ。どういう縁か、東江州に住む娘がこの若い僧を好きになってのう。家の者の目を盗んで湖にタライの舟をだし、それに乗って寺までやってきて、若い僧のまえに手をつき、「どうかわたしをあなたの嫁さんにしてくだされ」とたのむんや。」という書き出しで始まっています。
若い僧はもちろん断りましたが、女は聞き入れません。
そこで若い僧は「これから百夜、湖を渡ってかよってきたら、望みどおりそなたを妻に迎えよう」と無理難題を出します。
よろこんだ娘は、雪が降ろうと雨や風が強くても、めげずに毎晩タライの舟に乗って通いつづけました。
そして、とうとう、もう一夜で満願の百夜になる九十九日目の夜になりました。
若い僧は、娘の根気と執念に恐れをなし、白髭明神の灯籠の火を消せば、娘はやって来れまいと考えつきました。
娘はタライの舟に乗っていましたが、白髭明神の火が見えなくなってしまったので困ってしまいます。
運の悪いことにその夜は、湖が荒れていて、強い風が吹いていたので、娘はあっというまに湖の底に沈んでしまいました。
そののち、娘が無念のうちに命を落とした季節が来ると、湖も山も大荒れに荒れるようになりました。
それを土地の人々はいつのころからか、比良の八荒と呼ぶようになったそうです。

山梨県に伝わる「るすが岩」との共通性や類似が気になりますね。
頭方  投稿日時 2018/11/30 10:28
下唇おじさん、村人役として登場。この話、話としては火ともし山に近い。
ゲスト  投稿日時 2017/3/9 17:45
なんか同じ中部地方の「火ともし山」に似てる気がします。
いずれも女性の強い気持ちに男が恐れをなして
悲劇が生まれるという・・・。
ゲスト  投稿日時 2015/9/1 15:05
「留守ヶ岩」地域
その昔、悲しい男女の悲恋の物語「留守ヶ岩」が伝わるこの地は、ちょうど富士山の真北にあたる。均整のとれた美しいコニーデ型の富士のビューポイントとして知られ、四季折々に様々な顔の富士山がある。秋はモミジの紅葉トンネルが見事です。
http://www.katuyama.info/GALLERY/VIEW/rusu.html
ゲスト  投稿日時 2015/9/1 15:00
留守ヶ岩 るすがいわ
湖畔に突き出た岩場で、釣りのスポットとしても人気です。留守ヶ岩の西側に続く浜は日本の渚百選に選ばれています。

河口湖悲恋の伝説

対岸の勝山村の若者と大石の娘(おるす)が恋仲になりました。毎夜、若者はタライ船に乗って名もないこの岩の上で火を灯して待つ娘と会いました。
荒れ狂う嵐の夜のこと、娘の唯一の目印の火が消え、若者の乗った船は荒波にもまれ湖底に沈んでしまいました。
そのことを知るはずもない娘は、毎夜この岩の上で火を灯して待ち続けましたが、悲しみに暮れ、若者のあとを追ったのは間もなくのことでした。
それ以来、この岩を「留守ケ岩」とよんでいます。

「まんが日本昔ばなし」でも放送されたお話ですが、ストリーは多少異なるようです。
http://kawaguchiko-guide.com/mt-fuji-view/%E7%95%99%E5%AE%88%E3%83%B6%E5%B2%A9/
河口湖ガイド.com
ゲスト  投稿日時 2015/9/1 14:53
この昔ばなしは、道成寺の安珍 清姫にも似ているが、処女性の恐ろしさをよく伝えている。
また、少女に対しても教訓話として、盲目の恋が自分と相手そして家族を悲しませるのだと理解出来るようになっている。
特に感想として逆説的に女性は愛されて結婚するのが幸せになるのだと言う強い教訓を感じる。昔は本人にとって不本意な結婚も大層多かったと思われるが、親の決めた結婚を納得させる話材料にもなっていたのではと思う。
しょうねん
ゲスト  投稿日時 2015/9/1 14:39
留守が岩
 昔々、河口湖の北岸の大石村で大火事がありました。火は村のほとんどを燃え焦がしいつまでも消えないで、対岸の小湖村からもその燃え様がよく見えました。
 大石村にはおるすというそれは気立てのいい美しい娘が住んでいました。この火事で焼き出された人々は、家を建て直すためによその村からたくさんの大工さんをよびました。その大工さんのなかに、小湖村の幸右衛門というたくましくて心がけのいい若者がいました。
 ふたりはお互いにひかれあい愛しあうようになり、おるすはいつしか幸右衛門のお嫁さんになりだいと思うようになりました。やがて村の家は次々に建ち始め、昔の姿を取り戻し始めました。家ができあがると大工さんたちは、それぞれの村に帰っていきます。おるすに結婚を追られた幸右衛門には、実は許婚者がいました。困った幸右衛門は、百夜の間、湖を渡って通ってきたら結婚しようとおるすに約束して村を去りました。
 その言葉を信じたおるすはその次の日からたらい船に乗って毎夜幸右衛門のところヘ通い始めました。こんな約束守れるはずはないと思っていた幸右衛門は、毎夜通ってくるおるすの執念じみた様子にだんだんと恐れを抱くようになってきました。
そして百日目の夜、嵐の吹き荒れる夜、湖を渡ってくるおるすがいつも目印にしていた勝山明神の灯明を消してしまえば、今夜は渡ってこないだろうと考えた幸右衛門は、その灯明を消してしまったのです。
 目印を失ったおるすは湖の真ん中で嵐に漂いながら目当てを失い、帰ることもできぬまま岩にぶつかり、とうとう湖に沈んでしまいました。
 翌朝、おるすの死を知った幸右衛門は、あの嵐のなかを自分を思うあまり、たらい船を出していたおるすの気持を知り、たまらなくなって自分も湖に身を投げて後を追ったのです。
 それから、誰が言うともなくその岩を「るすが岩」と呼ぶようになりました。
http://www.fujigoko.tv/furusato/mukashi/act14.html
ふるさとの昔ばなし 河口湖周辺に伝わる昔話を紹介します
マニアック  投稿日時 2011/10/19 20:29
小林作品の紅一点キャラが、水死してしまうとは、酷すぎる!
投稿ツリー
8件表示 (全8件)
現地関連情報
出典本調査 facebook
Twitter

オンライン状況

35 人のユーザが現在オンラインです。 (29 人のユーザが お話データベース を参照しています。)

新着コメント(コメント24件)