昔、越後のある村に太助(たすけ)という百姓がいた。
太助は働き者であったが、もう30才だというのに、どういう訳かまだ嫁さんがいなかった。そこである日、太助は村の鎮守様にお参りに行くことにした。来月は10月、全国の神様が縁結びに出雲に集まる月。太助は村の鎮守様に自分の縁結びをお願いしたのだった。
すると社の中から鎮守様が人別帳を持って現れた。この年になるまで嫁が来ないとはおかしい。鎮守様も首をかしげる。鎮守様が人別帳を調べると、そこに太助という名前はなく、代わりに大助(だいすけ)の名がある。鎮守様は、太助の名前を間違えて、大助と書いていたのだ。どうりで今まで縁がなかった訳だ。
太助は、この頼りない鎮守様に縁結びを任せて大丈夫なものかと心配になり、自分も出雲へ向かうことにした。太助は出雲に着くと、社の縁の下に隠れてこっそり神様たちの審議の様子をうかがう。しかし、太助の縁組はなかなかやって来ない。我慢できなくなった太助は、鎮守様に今日中に自分の縁組を決めてほしいと頼んだ。
そこで鎮守様は、出雲の神様に太助の縁組を直接掛け合ってみた。するとどうだろう。何と出雲の神様は、隣村で亡くなった庄屋の娘と夫婦(めおと)にすると仰る。「死人と夫婦とは!?」太助はがっかりして村に帰ったが、これも何かの縁だろうと気を取り直し、隣村の庄屋の家を訪ねた。
棺桶を開けて娘の顔を拝めば、見れば見るほどに美しい。生きていればこの娘が自分と夫婦になるはずだったのに。太助は思いあまって、ついつい拳で娘の肩を叩いてしまった。すると、娘の口から何かが飛出し、何と娘は息を吹き返した。娘は餅を喉につまらせて死んでいたところを、太助に肩を叩かれて餅を吐き出したのだ。
こうして娘と太助はめでたく夫婦となり、その後一生元気に暮らしたということだ。また、この事があってから、この地方では死人が出ると、生き返るようにとの思いから餅をつくようになり、これを“生きよ餅”と呼んでいる。
(投稿者: やっさん 投稿日時 2012-10-4 14:13)
ナレーション | 常田富士男 |
出典 | 新潟県 |
このお話の評価 | 9.11 (投票数 9) ⇒投票する |
⇒ 全スレッド一覧