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No.1216
しびととめおと
死人とめおと

放送回:0768-B  放送日:1990年10月06日(平成02年10月06日)
演出:又野龍也  文芸:沖島勲  美術:青木稔  作画:又野龍也
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あらすじ

昔、越後のある村に太助(たすけ)という百姓がいた。

太助は働き者であったが、もう30才だというのに、どういう訳かまだ嫁さんがいなかった。そこである日、太助は村の鎮守様にお参りに行くことにした。来月は10月、全国の神様が縁結びに出雲に集まる月。太助は村の鎮守様に自分の縁結びをお願いしたのだった。

すると社の中から鎮守様が人別帳を持って現れた。この年になるまで嫁が来ないとはおかしい。鎮守様も首をかしげる。鎮守様が人別帳を調べると、そこに太助という名前はなく、代わりに大助(だいすけ)の名がある。鎮守様は、太助の名前を間違えて、大助と書いていたのだ。どうりで今まで縁がなかった訳だ。

太助は、この頼りない鎮守様に縁結びを任せて大丈夫なものかと心配になり、自分も出雲へ向かうことにした。太助は出雲に着くと、社の縁の下に隠れてこっそり神様たちの審議の様子をうかがう。しかし、太助の縁組はなかなかやって来ない。我慢できなくなった太助は、鎮守様に今日中に自分の縁組を決めてほしいと頼んだ。

そこで鎮守様は、出雲の神様に太助の縁組を直接掛け合ってみた。するとどうだろう。何と出雲の神様は、隣村で亡くなった庄屋の娘と夫婦(めおと)にすると仰る。「死人と夫婦とは!?」太助はがっかりして村に帰ったが、これも何かの縁だろうと気を取り直し、隣村の庄屋の家を訪ねた。

棺桶を開けて娘の顔を拝めば、見れば見るほどに美しい。生きていればこの娘が自分と夫婦になるはずだったのに。太助は思いあまって、ついつい拳で娘の肩を叩いてしまった。すると、娘の口から何かが飛出し、何と娘は息を吹き返した。娘は餅を喉につまらせて死んでいたところを、太助に肩を叩かれて餅を吐き出したのだ。

こうして娘と太助はめでたく夫婦となり、その後一生元気に暮らしたということだ。また、この事があってから、この地方では死人が出ると、生き返るようにとの思いから餅をつくようになり、これを“生きよ餅”と呼んでいる。

(投稿者: やっさん 投稿日時 2012-10-4 14:13)


ナレーション常田富士男
出典新潟県
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※掲載情報は 2012/10/4 14:13 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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猫  投稿日時 2021/10/7 7:51
おっちょこちょいな神様かわいいです(笑)
太助がいい相手と結ばれてよかった!!
Perenna  投稿日時 2020/9/17 23:16
この昔話と同じ話が、未来社の「越後の民話・第二集」にも収録されています。
「死人と夫婦」(糸魚川市大久保)という話です。
「十月の神なし月には、もとは、村々のちんじゅの神様がたが、出雲のお宮に集って、人間の縁組をきめなさるという。なかなか、嫁のない、三十もすぎた男が、出雲のお宮の縁の下にもぐり込んで、こんどは、自分の縁組がきまるだろうと思って、聞いていた。」という書き出しで始まっています。
主人公の名前は書かれていませんが、“生きよ餅”の由来については書かれています。
「その村では、人が死んだときに、すぐに生き返るように、イキョモチというて、餅をつくということだ。」
出典は未来社の本ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
もんた  投稿日時 2020/3/29 11:16
生き返る方法を教えてほしい。
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