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No.1181
えんこのおさむらい
エンコのお侍

放送回:0745-A  放送日:1990年04月21日(平成02年04月21日)
演出:三善和彦  文芸:沖島勲  美術:渡辺由美  作画:小堤一明
広島県 ) 17297hit
イタズラ好きの河童が、川底のクワの刃を取ってくれと村人に頼む話

昔々ある山奥の小さな川に悪戯好きなエンコ(河童)が住んでいて、村人達をたいそう困らせておりました。

ある日、その村の「六衛門さん」という庄屋さんの家に「河原権左衛門(かわらごんざえもん)」と名乗るお侍がやって来ました。ところが、このお侍、どうも生臭い匂いがします。そして、自分の住んでいる河原の淵の底にピカピカ光る物が沈んで困っているので、村人達の手でこれを取り除いてほしいと六衛門さんに頼むのでした。六衛門さんは「おかしな話じゃのう。エンコは金気の物を怖がると言うし、さてはこいつ、侍に化けたエンコじゃな。」と思いましたが、悪さをしに来た訳でもなさそうなので、もう少し話を聞いてみることにしました。

一方、六衛門さんを心配した下男は慌てて村人を呼びに走りました。そうして、手に手に棒や縄を持った村人達が六衛門さんの家に集まり、あっという間にエンコのお侍をふんじばってしまいました。「やっぱりエンコじゃ!懲らしめてやらにゃあ!」「待て待て、今日のところはわしに免じて許してやってくれんかのう。」と六衛門さんが村人達をとりなし、エンコも大粒の涙を流して謝ったので、村人達はようやくエンコを許してやることにしました。

そうして村人達はエンコの頼みを聞いてやることにして、光る物が沈んでいるという淵の底に潜ってみました。すると淵に沈んでいたのは古い鍬の先で、それがピカピカ光ってエンコを怖がらせていたのでした。六衛門さんと村人達がその鍬の先を取り除いてやると、すっかり安心したエンコは何度も何度もお礼を言って川の中へと帰ってゆきました。

あくる日、エンコのお侍がまた六衛門さんのところへやって来ました。そうして、お礼の印にと「ホウの鳥の卵」を六衛門さんに渡しました。六衛門さんがその卵を食べると、どうしたことか胸がスーッとして気分がとても爽やかになりました。その上、顔の皺がみるみるうちになくなり、白髪はすっかり黒くなってしまったのでした。この話を聞いた村人達はホウの鳥の卵を皆で分け合って食べました。

そのためか、この村の者は皆長生きをしたそうです。またそれから後、エンコが村人に悪さをすることは二度となかったそうです。

(投稿者: ニャコディ 投稿日時 2011-11-26 22:46)


ナレーション市原悦子
出典垣内稔(未来社刊)より
出典詳細安芸・備後の民話 第二集(日本の民話23),垣内稔,未来社,1959年11月30日,原題「河童のお礼」,採録地「山県郡」,話者「村上吾作、一畑電鉄観光ガイド」
備考尻切れ
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※掲載情報は 2011/11/26 23:36 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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ゲスト  投稿日時 2015/12/24 16:04
山県郡(やまがたぐん)は、広島県(安芸国)の郡。
人口25,607人、面積988.09km²、人口密度25.9人/km²。(2015年5月1日、推計人口)
以下の2町を含む。 安芸太田町(あきおおたちょう) 北広島町(きたひろしまちょう)
中国山地の標高300 - 800mに位置し、西中国山地国定公園に指定された1,000m程度の山々に囲まれた山間地域。農林業・観光・レジャーが主な産業である。
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町から北広島町の一部(西八幡原の一部)をのぞいた区域にあたる。
明治初年時点では全域が安芸広島藩領であった(74村)。郡役所が加計村に設置。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%83%A1
ゲスト  投稿日時 2015/12/24 15:54
えんこうのつべぬき(神石高原町)
むかしむかし、油木町新免の田川瀬川(帝釈川の下流)のほとりの、古川池(ふるつこういけ)という池にえんこうが棲んでいました。 この池は、池の底からいつも水がふき出ているので、大水で池が川になっても、すぐに下から、たまった土砂をふきあげて流し、 きれいな水をいつもたたえているというふしぎな池です。

古川池の近くに、うの子(屋号)という大分限者(ぶげんしゃ)の家がありました。うの子の家では毎年夏のさかりに、 おおぜいの人をたのんで田の草とりをしていましたが、ある年のこと、古川池のえんこうがよく田の草をとるというので、 たのんだことがありました。えんこうは人間のつべが大好物なので、草とりのさいちゅうでも、となりの人の尻にすぐ 手を出すのです。そこで人間たちは、鎌を尻にぶらさげて田の草とりをするようになりました。というのは、えんこうは金気 (かなけ)のものが大きらいなので、人の尻に手を出すと鎌にあたって、あわてて手をひっこめるからです。これでみんなは 安心して田の草とりができるようになったといいます。

この古川池のえんこうも、ある日のこと、だれかが古川池のなかに鎌を投げこんだので、えんこうはびっくりして、 そのままどこかにいってしまったということです。
http://www.hiroshima-bunka.jp/modules/folktale24/popup/folktale05.html
ゲスト  投稿日時 2015/12/24 15:44
猿猴(えんこう)は広島県及び中国・四国地方に古くから伝わる伝説上の生き物。河童の一種。
一般的にいう河童と異なる点は、姿が毛むくじゃらで猿に似ているところ。金属を嫌う性質があり、海又は川に住み、泳いでいる人間を襲い、肛門から手を入れて生き胆を抜き取るとされている。女性に化ける事ができる、という伝承もあるようである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E7%8C%B4
ゲスト  投稿日時 2015/12/24 15:41
広島・猿猴川沿岸で「カッパ祭り」-物まねやキュウリの早食い企画も
2011年09月09日
広島駅からほど近い猿猴川の一帯(広島市南区段原)で9月11日、「河童祭り」が開催される。
設営前の会場
 カッパを「えんこう」と呼んでいた地域が多い広島県。漢字での表記「猿猴」は、室町時代まで大陸との交流が盛んだったため渡来したといわれている。地域に伝わるカッパに関する民話はさまざまだが、背が低く、子ども並みで、手は長くサルに似ているなど容姿は共通点もある。
 言い伝えでは、一般に力持ちで相撲やいたずら好きだが、金物が嫌なこと、たまには人助けすること、間抜けな一面も持つ憎めない存在だったとも残っている。
 祭りは、大正橋から平和橋までの約2キロに特設会場を用意。会場の両端には、神楽や吹奏楽の演奏、合唱など、地域からの参加が目立つ「河童ステージ」と、ダンスやライブ、一般からの参加者を受け付ける企画を用意した「平和ステージ」の2種類を設ける。
 両ステージをつなぐのは、100テナントが参加するフリーマーケットゾーン。飲食コーナーも用意し、鞆の浦コロッケやキジやイノシシ焼き、ホルモンうどんなどB級グルメを販売する。参加型のイベントは、カッパに関連付けた、キュウリの早食いや物まね審査。架空の動物とされるため物まねでは、「カッパのマインドを探してほしい」と参加を呼び掛ける。
http://hiroshima.keizai.biz/headline/1193/
beniko  投稿日時 2011/11/28 0:50
そうなんですね、記憶力が良いですね。紅子はこの年ですから、リアルタイムで見ていたのはもう30年も前の事ですからすっかり忘れています。ですから、youtubeにあるアニメが情報源だったりします。今後ともよろしくお願いいたします。
ニャコディ  投稿日時 2011/11/27 17:08
そうですか、ご覧になったことがあるのですね。
私は子供の頃、録画したビデオで見たことがあり、今回それを思い出しながらyoutubeを見てあらすじを起こしたのですが、ラストはたぶん「それ以降エンコは悪さをしなくなった」というような内容だったかと思います。もし間違っていたらごめんなさい!です。

このお話、子供心に度量のある六衛門さんが格好良いなあと思ったものです(笑)
beniko  投稿日時 2011/11/27 0:52 | 最終変更
このお話、youtubeで初めて見たのですが、最後の数秒が切れているようで、最後をどう締めくくったのが非常に気になっていました。ニャコディさんはこのお話を最後まで見たことがあるんですね、ちょっとうらやましい。(たかが数秒間の部分なんですがね)。あらすじ投稿、いただきありがとうございました。
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