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No.1127
おけやとおじぞうさま
おけ屋とお地蔵さま

放送回:0711-A  放送日:1989年08月12日(平成01年08月12日)
演出:藤原万秀  文芸:沖島勲  美術:西村邦子  作画:藤原万秀
東京都 ) 16298hit
あらすじ

昔々、東京は杉並の長延寺の近くに、長七という桶屋が住んでおりました。長七は女房と仲良く暮らしておりましたが、なかなか子供に恵まれませんでした。そこである時、長七は子宝に恵まれるよう長延寺のお地蔵様に二十一夜の願い参りをしました。

やがて長七夫婦には元気な男の子が生まれました。ところが女房の乳が出ず、仕方なく人を頼って貰い乳をすることにしました。夫婦は歩き回って乳を分けてくれる人を探しましたが、なかなか見つかりませんでした。赤ん坊は日に日に痩せ衰え、長七は満足に仕事も出来なくなって暮らしは苦しくなる一方でした。

そんなある夜の事、長七の家に小さな小僧さんやって来て、「これをおかみさんに食べさせて下さい。」と、竹の皮に包んだ牡丹餅を置いて行ったのです。長延寺の和尚さんの心遣いだと思った長七は、その美味しい牡丹餅を女房に食べさせました。

ところが長延寺の和尚さんはそんな小僧は知らないというのでした。不思議な小僧さんはそれからも幾夜となく訪れ、竹の皮に包んだ牡丹餅を置いて行くのでした。そうして不思議なことに、牡丹餅を食べた女房の乳が出るようになったのでした。

同じ頃、弥兵衛という餅屋に、毎晩小銭をたくさん持った小僧さんが牡丹餅を買いに来るようになりました。弥兵衛はある夜、長延寺の門前で小僧さんを襲いその小銭を奪おうとしました。そのとたん、弥兵衛は凄い力で頭を打たれ気を失ってしまいました。不思議なことに、翌朝、境内のお地蔵様が倒れており、その傍に竹の皮に包んだ牡丹餅が落ちていたそうです。

その話を聞いた長七は、再び長延寺のお地蔵様を訪れました。長七にはあの小僧さんはお地蔵様だったと思えて、夫婦は牡丹餅を作ってお地蔵様に供え、長い間手を合わせてお礼参りをしたそうです。

それ以来、長延寺のお地蔵様に牡丹餅を供えてお願いすると乳の出が良くなるといわれ、お参りの人が絶えなかったということです。

(投稿者: ニャコディ 投稿日時 2013-12-29 16:34)


ナレーション市原悦子
出典東京の伝説(日本標準刊)より
場所について長延寺(ぼたもち地蔵)東京都杉並区和田1丁目44-24
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地図:長延寺(ぼたもち地蔵)東京都杉並区和田1丁目44-24
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※掲載情報は 2013/12/29 20:42 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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ゲスト  投稿日時 2018/1/15 0:38
心が優しくなるような良いお話でした。

幸せとは、なるものではなく、感じるものなんだなぁ...
トモメル  投稿日時 2014/9/27 15:29
長延寺(ちょうえんじ)は、東京都杉並区和田一丁目にある曹洞宗の寺院。山号は萬昌山(ばんしょうざん)。
かつては江戸市ヶ谷に所在した寺で、旧地には市谷長延寺町という地名が残る。境内に「ぼたもち地蔵」があり、「ぼたもち寺」の別称がある。

歴史
文禄3年(1596年)、江戸市谷に創建。実質的な開山者は笑岩長闇である。
笑岩長闇は徳川家康が浜松で帰依していた僧で、江戸入りの際に伴われた。笑岩長闇は師の喚英長応(上野国長年寺10世)を当寺の開山とし、自らを2世と位置づけた。
開基は当初成瀬正成(犬山城主)とされていたが、その後成瀬氏は檀家を離れた。寛文元年(1661年)、今川直房(範英)を当寺に葬ったのを機に、今川直房を開基として改めた。以後、今川氏の菩提寺となり、歴代当主の葬地となった[1]。
明治42年(1909年)、現在地に移転。

施設・史跡
牡丹餅地蔵
次のような伝承から、子授け・子育ての信仰を集める。
寺が市ヶ谷にあったころ、門前の桶屋の夫婦が地蔵に願掛けをしたところ、子を授かった。しかし、母子は産後の肥立ちが悪く危険な状態にあった。父が再び願掛けをすると、地蔵は小僧に姿を変えて牡丹餅を与えた。この牡丹餅を食べた母は回復して乳の出もよくなり、子も元気に育ったという。

アクセス
東京メトロ丸ノ内線東高円寺駅下車

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%BB%B6%E5%AF%BA


杉並区教育委員会掲示による長延寺の縁起
当寺は、万昌山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来坐像です。
寺伝によれば、開創は文禄3年(1594)江戸市ヶ谷(現新宿区市谷長延寺町)に境内地を拝領して創建されました。
開山は、本寺長年寺(現群馬県榛名町下室田)10世喚英長応となっていますが、実際には2世笑岩長闇で、長応は勧請開山だといわれています。
開基は、尾張犬山城主成瀬隼人正正成であったが、その後なる瀬隼人正がいつしか当寺を離檀し、墓地もなくなってしまったので、やむを得ず寛文元年(1661)今川直房(義元から三代目)が葬られてからは、直房をもって中興開基となしたと伝えられています。以来、今川家の菩提寺となりました。
当寺は明治42年に現在地に移築されました。
境内には江戸時代市ヶ谷でとくに有名だったぼたもち地蔵があります。
その由来は、当時門前に信心深い夫婦が住んでおり、この地蔵に願いをかけて男児を得たが、産後の肥立ちが悪く、母子ともに明日をも知れない状態になったところ、地蔵が化身した小僧がぼた餅を持って現れ、それを食べた母子がともに元気になった。以来この地蔵は子育て地蔵として信仰を集めたと伝えられています。
なおその他に、国学者鈴木重胤の墓があります。(杉並区教育委員会掲示より)

「牛込區史」による長延寺の縁起
萬昌山長延寺 上野長年寺末
文禄三年起立、開山喚英長應和尚、慶長庚子年九月廿八日寂。二世笑岩長岡和尚、慶長十七年四月十一日寂。開基白林院殿直済宗心大居士、俗姓成瀬隼人正、寛永二年正月十七日卒。舊境内拝領地四千三百二十一坪、内千三百七十一坪門前町屋。(「牛込區史」より)

長延寺所蔵の文化財
•鈴木重胤の墓(杉並区登録文化財)
•石造地蔵菩薩立像(通称「ぼたもち地蔵」)

http://www.tesshow.jp/suginami/temple_wada_choen.html
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