Re: おけ屋とお地蔵さま

おけ屋とお地蔵さま についてのコメント&レビュー投稿
昔々、東京は杉並の長延寺の近くに、長七という桶屋が住んでおりました。長七は女房と仲良く暮らしておりましたが、なかなか子供に恵まれませんでした。そこである時、長七は子宝に...…全文を見る

Re: おけ屋とお地蔵さま

投稿者:トモメル 投稿日時 2014/9/27 15:29
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長延寺(ちょうえんじ)は、東京都杉並区和田一丁目にある曹洞宗の寺院。山号は萬昌山(ばんしょうざん)。
かつては江戸市ヶ谷に所在した寺で、旧地には市谷長延寺町という地名が残る。境内に「ぼたもち地蔵」があり、「ぼたもち寺」の別称がある。

歴史
文禄3年(1596年)、江戸市谷に創建。実質的な開山者は笑岩長闇である。
笑岩長闇は徳川家康が浜松で帰依していた僧で、江戸入りの際に伴われた。笑岩長闇は師の喚英長応(上野国長年寺10世)を当寺の開山とし、自らを2世と位置づけた。
開基は当初成瀬正成(犬山城主)とされていたが、その後成瀬氏は檀家を離れた。寛文元年(1661年)、今川直房(範英)を当寺に葬ったのを機に、今川直房を開基として改めた。以後、今川氏の菩提寺となり、歴代当主の葬地となった[1]。
明治42年(1909年)、現在地に移転。

施設・史跡
牡丹餅地蔵
次のような伝承から、子授け・子育ての信仰を集める。
寺が市ヶ谷にあったころ、門前の桶屋の夫婦が地蔵に願掛けをしたところ、子を授かった。しかし、母子は産後の肥立ちが悪く危険な状態にあった。父が再び願掛けをすると、地蔵は小僧に姿を変えて牡丹餅を与えた。この牡丹餅を食べた母は回復して乳の出もよくなり、子も元気に育ったという。

アクセス
東京メトロ丸ノ内線東高円寺駅下車

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%BB%B6%E5%AF%BA


杉並区教育委員会掲示による長延寺の縁起
当寺は、万昌山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来坐像です。
寺伝によれば、開創は文禄3年(1594)江戸市ヶ谷(現新宿区市谷長延寺町)に境内地を拝領して創建されました。
開山は、本寺長年寺(現群馬県榛名町下室田)10世喚英長応となっていますが、実際には2世笑岩長闇で、長応は勧請開山だといわれています。
開基は、尾張犬山城主成瀬隼人正正成であったが、その後なる瀬隼人正がいつしか当寺を離檀し、墓地もなくなってしまったので、やむを得ず寛文元年(1661)今川直房(義元から三代目)が葬られてからは、直房をもって中興開基となしたと伝えられています。以来、今川家の菩提寺となりました。
当寺は明治42年に現在地に移築されました。
境内には江戸時代市ヶ谷でとくに有名だったぼたもち地蔵があります。
その由来は、当時門前に信心深い夫婦が住んでおり、この地蔵に願いをかけて男児を得たが、産後の肥立ちが悪く、母子ともに明日をも知れない状態になったところ、地蔵が化身した小僧がぼた餅を持って現れ、それを食べた母子がともに元気になった。以来この地蔵は子育て地蔵として信仰を集めたと伝えられています。
なおその他に、国学者鈴木重胤の墓があります。(杉並区教育委員会掲示より)

「牛込區史」による長延寺の縁起
萬昌山長延寺 上野長年寺末
文禄三年起立、開山喚英長應和尚、慶長庚子年九月廿八日寂。二世笑岩長岡和尚、慶長十七年四月十一日寂。開基白林院殿直済宗心大居士、俗姓成瀬隼人正、寛永二年正月十七日卒。舊境内拝領地四千三百二十一坪、内千三百七十一坪門前町屋。(「牛込區史」より)

長延寺所蔵の文化財
•鈴木重胤の墓(杉並区登録文化財)
•石造地蔵菩薩立像(通称「ぼたもち地蔵」)

http://www.tesshow.jp/suginami/temple_wada_choen.html
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