昔、三重県に、山之平(やまのひら)という大きな村と、刑部(おさかべ)という小さな村がありました。
この刑部村の人々は、わずかに採れる稗(ひえ)や粟(あわ)、薪(たきぎ)などを背負って山之平まで行って、塩や干物などに交換していました。山之平への往来は、険しい山道が続くのでとても危険な道のりでした。
刑部村の「ちんどんの森」という所に、一人の婆さまが住んでいました。ある時、この婆さまが、偶然に山之平までの抜け道になっている大穴を見つけました。婆さまは、こっそり自分だけで抜け道を使い、毎日々、薪を山之平まで持っていっては美味しい食べ物と交換していました。
それから随分たったある日、婆さまが抜け道から出てくるところを、隣の爺さんに見つかってしまいました。婆さまは仕方なく、抜け道使用料として粟1合をもらって、抜け道を使わせてやる事にしました。すると、他の村人たちも粟1合で抜け道を使うようになりました。
婆さまも欲が出てきて、粟2合に値上げしました。それでも、村人たちは2合払って抜け道を使いましたが、中には勝手に抜け道を使う者もでてきました。そこで婆さまは、さらに粟3合に値上げし、抜け道の前に座り込み見張る事にしました。
貧しい村人たちは、粟3合も払えないと、抜け道を使う人も数少なくなりました。それでも毎日見張り続けた婆さんは、髪はボサボサ目だけはギョロリと光り、まるで化け物のように恐ろしい形相になり、村人から「三合ババ」と呼ばれるようになりました。
数年後、工事が難航していた隣村までの近道が、ようやく完成しました。村人たちは、この安全な近道を通るようになりましたが、3合ババはまだ穴の前で見張り続けました。その後、3合ババがどうなったのか、その消息はもう誰も知らないそうです。
(紅子 2012-8-8 3:19)
ナレーション | 常田富士男 |
出典 | 三重のむかし話(日本標準刊)より |
出典詳細 | 三重のむかし話(各県のむかし話),三重県小学校国語教育研究会,日本標準,1977年08月01日,原題「三合ばば」,再話「池田昭」 |
場所について | 抜け道はこの辺かも(地図は適当) |
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