No.1092
さんごうばば
三合ばば
高ヒット
放送回:0688-B  放送日:1989年02月25日(平成01年02月25日)
演出:白梅進  文芸:沖島勲  美術:小出英男  作画:白梅進
三重県 ) 21810hit
あらすじ

昔、三重県に、山之平(やまのひら)という大きな村と、刑部(おさかべ)という小さな村がありました。

この刑部村の人々は、わずかに採れる稗(ひえ)や粟(あわ)、薪(たきぎ)などを背負って山之平まで行って、塩や干物などに交換していました。山之平への往来は、険しい山道が続くのでとても危険な道のりでした。

刑部村の「ちんどんの森」という所に、一人の婆さまが住んでいました。ある時、この婆さまが、偶然に山之平までの抜け道になっている大穴を見つけました。婆さまは、こっそり自分だけで抜け道を使い、毎日々、薪を山之平まで持っていっては美味しい食べ物と交換していました。

それから随分たったある日、婆さまが抜け道から出てくるところを、隣の爺さんに見つかってしまいました。婆さまは仕方なく、抜け道使用料として粟1合をもらって、抜け道を使わせてやる事にしました。すると、他の村人たちも粟1合で抜け道を使うようになりました。

婆さまも欲が出てきて、粟2合に値上げしました。それでも、村人たちは2合払って抜け道を使いましたが、中には勝手に抜け道を使う者もでてきました。そこで婆さまは、さらに粟3合に値上げし、抜け道の前に座り込み見張る事にしました。

貧しい村人たちは、粟3合も払えないと、抜け道を使う人も数少なくなりました。それでも毎日見張り続けた婆さんは、髪はボサボサ目だけはギョロリと光り、まるで化け物のように恐ろしい形相になり、村人から「三合ババ」と呼ばれるようになりました。

数年後、工事が難航していた隣村までの近道が、ようやく完成しました。村人たちは、この安全な近道を通るようになりましたが、3合ババはまだ穴の前で見張り続けました。その後、3合ババがどうなったのか、その消息はもう誰も知らないそうです。

(紅子 2012-8-8 3:19)


ナレーション常田富士男
出典三重のむかし話(日本標準刊)より
出典詳細三重のむかし話(各県のむかし話),三重県小学校国語教育研究会,日本標準,1977年08月01日,原題「三合ばば」,再話「池田昭」
場所について抜け道はこの辺かも(地図は適当)
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地図:抜け道はこの辺かも(地図は適当)
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※掲載情報は 2012/8/8 3:19 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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taneugene934  投稿日時 2021/10/1 18:54
ご飯の入場料などありません!
もし私が貪欲でないなら、私はいつも彼らを通す
もし私が老婆なら、いつも彼らを無料で通す。共有します。
ゲスト  投稿日時 2015/2/12 20:50 | 最終変更
自分さえよければという考えは
いつの時代も愚かなことなんでしょうね。

芝太郎  投稿日時 2012/6/13 21:56
思い出せる限りでは
新しい道を道を作っている途中
婆さんが抜け道を発見して、独り占めにしていたところ
その後、村人に見つかり、抜け道を自分だけの物にしたく、
抜け道の前で見張りをしてさらに婆さんが抜け道を通る代わりに
米を一合要求するようになって、さらに欲を出して米を三合にしたが
三合は高くて、そうそう渡せる物ではなく、村人は使わなくなってしまい
ある日、村人が隣の村に行くため抜け道のところに行くと
婆さんは山姥のようになっていて、村人は恐れて三合ばばと呼ぶようになった
そして、新しい道ができても婆さんは抜け道の前に居て、最後は消えてしまった。
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