むかしむかし、奈良の曽我村というところに北林という豪家がありました。この屋敷の広い森にはタヌキの一家が住んでいるという噂がありました。
ある日、北林の家に待望の初孫が生まれました。この家の主人は初孫の誕生を大変喜びました。主人は初孫の誕生を祝ってたくさんの赤飯を作り村中の家に配り歩き、屋敷では宴会が開かれました。ところが赤飯を多く作りすぎたので、赤飯を鍋に移して蓋をしておきました。
その夜更け。皆が寝静まった頃、主人が目を覚ましました。すると、なにやら台所のほうで物音がするのです。主人が眠たい目をこすりながら台所のほうに向かい、そっと戸を開けてみたらタヌキの一家が、鍋の蓋を取って余った赤飯を食べていました。ほっとする反面、主人はタヌキ一家があわれでなりません。きっと食べ物に困ってのことだろうと。
次の晩から、主人はタヌキ一家のために食べ物を用意してあげました。翌朝にはすっかりなくなっていました。
さて、ある晩のことでした。屋敷に泥棒が押し入り、家の者を叩き起こし、金を出せと脅しました。一家はただ、ガタガタブルブルふるえるばかりでした。そのときです。天を突くような大きな力士が、どしどし入ってきました。そして、泥棒に大声で怒鳴りつけました。
「人の家に勝手に押し入って金を脅し取るとはなんて奴だ!」「さっさと出ていけ!」
その力士の迫力に泥棒は一目散に逃げ出しました。一家は、あっけにとられましたが、我に返り力士にお礼をのべながら頭を下げました。そして頭をあげると力士の姿はありませんでした。
ひと騒動のあと、やっと床に就いた主人を呼ぶ声が聞こえ目を覚ますと、あのタヌキの夫婦がいました。タヌキの夫婦は「いつも食べ物をありがとうございます。今夜のことは、ほんの御恩返しでございます」と言って森へ帰って行きました。
主人は気づきました。あのとき一家の窮地を救ってくれた力士の正体はあのタヌキの夫婦だったと。それからというもの、北林の家ではタヌキを大事にし、タヌキ一家も北林の家に末永く住み続けたそうです。
(投稿者: ビアンカ 投稿日時 2013-1-17 20:18)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 奈良のむかし話(日本標準刊)より |
出典詳細 | 奈良のむかし話(各県のむかし話),奈良のむかし話研究会,日本標準,1977年09月01日,原題「おタヌキ力士」,再話「矢井田朝夫」,大和の伝説 |
場所について | 橿原市曽我町(地図は適当) |
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