この未見お話には複数の出典元が予測され、それぞれの書籍に同タイトル名のお話があります。「このお話かもしれない」ということであらすじを書いてみます。
昔、甲斐国の甲府市が大きな湖だった頃の話です。
四方が高い山に囲まれたこの国の村々はどこも貧しく、険しい山裾にしがみつくように細々と暮らしていました。村人たちは田畑を作るような平らな土地がなく、石ころだらけの土地を耕してキビやひえなどを作ったり、小魚を捕ったりして暮らしていました。
そんな貧しい村の様子をじっと見ていた稲積地蔵(いなづみじぞう)様が、湖の水を海に流して田畑を作れないかと考えました。そこで、体の大きな二人の神様に相談し、仕事を手伝ってもらう事にしました。二人の神様の体はとても大きく、立ち上がると夕焼けを受けた影は広い湖の対岸まで届くほどで、影のせいで湖が真夜中のように真っ暗になりました。
二人の神様は、瞬く間にでっかい山を一つ潰してしまいました。すると満々とたたえていた湖の水が、ものすごい音をたてて海へかけ下っていきました。この音を聞きつけてやって来たもう一人の神様(不動様)が、水の流れを整えるでっかい堰(せき)を作ってくれました。湖の水は七日七晩流れ続けて、とうとう平らな底が見えてきました。
それはそれは広いよく肥えた平地だったので、村人たちは立派な田畑を作る事ができました。村人たちは、稲積地蔵さまを大切におまつりし、山に穴をあけた神様を「穴切神社」に、山を蹴破った神様を「蹴裂明神」に、大きな堰を造った神様を「瀬立不動様」としてお祀りました。
(紅子 2012-2-9 5:18,山梨のむかし話より)
ナレーション | 未見のため不明 |
出典 | クレジット不明 |
出典詳細 | 山梨のむかし話(山梨国語教育研究会,日本標準,1975年06月10日)もしくは甲斐の民話(日本の民話17),土橋里木,未来社,1959年03月31日,原題「甲斐のみずうみ」,山中共古翁の談「日本伝説集」より |
場所について | 国母稲積地蔵立像(法城寺跡) |
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