No.1021
かいのみずうみ
甲斐の湖

放送回:0643-B  放送日:1988年04月02日(昭和63年04月02日)
演出:三輪孝輝  文芸:沖島勲  美術:三輪孝輝  作画:三輪孝輝
要調査 / 山梨県 ) 17421hit
あらすじ

この未見お話には複数の出典元が予測され、それぞれの書籍に同タイトル名のお話があります。「このお話かもしれない」ということであらすじを書いてみます。

昔、甲斐国の甲府市が大きな湖だった頃の話です。

四方が高い山に囲まれたこの国の村々はどこも貧しく、険しい山裾にしがみつくように細々と暮らしていました。村人たちは田畑を作るような平らな土地がなく、石ころだらけの土地を耕してキビやひえなどを作ったり、小魚を捕ったりして暮らしていました。

そんな貧しい村の様子をじっと見ていた稲積地蔵(いなづみじぞう)様が、湖の水を海に流して田畑を作れないかと考えました。そこで、体の大きな二人の神様に相談し、仕事を手伝ってもらう事にしました。二人の神様の体はとても大きく、立ち上がると夕焼けを受けた影は広い湖の対岸まで届くほどで、影のせいで湖が真夜中のように真っ暗になりました。

二人の神様は、瞬く間にでっかい山を一つ潰してしまいました。すると満々とたたえていた湖の水が、ものすごい音をたてて海へかけ下っていきました。この音を聞きつけてやって来たもう一人の神様(不動様)が、水の流れを整えるでっかい堰(せき)を作ってくれました。湖の水は七日七晩流れ続けて、とうとう平らな底が見えてきました。

それはそれは広いよく肥えた平地だったので、村人たちは立派な田畑を作る事ができました。村人たちは、稲積地蔵さまを大切におまつりし、山に穴をあけた神様を「穴切神社」に、山を蹴破った神様を「蹴裂明神」に、大きな堰を造った神様を「瀬立不動様」としてお祀りました。

(紅子 2012-2-9 5:18,山梨のむかし話より)


参考URL(1)
http://1st.geocities.jp/minohazz/shiseki-shousai/kfm033/kfm033.html
参考URL(2)
http://www.genbu.net/data/kai/anakiri_title.htm
ナレーション未見のため不明
出典クレジット不明
出典詳細山梨のむかし話(山梨国語教育研究会,日本標準,1975年06月10日)もしくは甲斐の民話(日本の民話17),土橋里木,未来社,1959年03月31日,原題「甲斐のみずうみ」,山中共古翁の談「日本伝説集」より
場所について国母稲積地蔵立像(法城寺跡)
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地図:国母稲積地蔵立像(法城寺跡)
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※掲載情報は 2012/2/9 5:18 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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ゲスト  投稿日時 2021/8/11 2:38
この話は録画したビデオがあるのでよく覚えています。
神様は最初から三人そろって出てきてましたよ。
ゲスト  投稿日時 2015/8/9 19:51
蹴裂明神
 太古の甲府盆地は湖であったともいふ。二代綏靖天皇の御代に、向山むかうやま土本毘古ともびこ王が甲斐国を訪れ、左右口う ば ぐち山に住む左右弁羅さうべららの協力を得て、鰍沢かじかざはの南の山を足で蹴って切り開き、湖水を富士川に落して、広大な平地を得て国造りをしたといふ。のちに王の葬られた地にまつられたのが佐久さく大明神で、蹴裂大明神ともいひ、今の東八代郡中道町上向山の佐久神社のことである。
 甲府盆地が湖だったといふのは、甲斐地方に広く伝はる伝説である。地蔵菩薩の発案で蹴裂明神らが切り開いたともいひ、甲府市の稲積神社では、四道将軍の一人武淳川別たけぬなかはわけ命が切り開いたとする。甲府市の穴切大神社では、大己貴命に祈願して、和銅年中に国司以下、多数の人々の力で土木工事をして切り開いたといふ。韮崎市旭町の穂見神社の伝説では、大洪水で甲府盆地が湖水と化したとき、鳳凰山に住む大唐仙人が、蹴裂明神と力をあはせて山を切り開いたとされ、この里の山代王子が新しい土地を開墾して米作りの道を教へたといふ。また蹴裂明神とは安曇あづみ氏の祖神の日金拆ひかなさく命で、治水の神だともいふ。
 甲府盆地には水の神をまつる神社も多く、甲府市高畑の住吉神社に伝はる歌がある。
 ○有難や、今日住吉の神ませば、なほしも頼む代々の行末   武田太郎信義

神話の森HP http://nire.main.jp/rouman/fudoki/22yama03.htm
ゲスト  投稿日時 2015/8/1 22:24
このお話当時見ました、ある日神様が二人出てきて湖を造る話なのですが、個人的な見所が冒頭にある村の家族のやりとりでして。

夫「じじ、魚は食うたか?」 爺「食っ・・・・た」

未見ですと、何を言っているのかサッパリだと思いますが、もし映像が出てきたらこの場面ぜひ注目してみてもらいたいです。いつもボケたようなやり取りしかしていなかった爺さんが、ある日・・・という所からお話も動きだしまして、強く印象に残っています。
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