鼻かけ地蔵 についてのコメント&レビュー投稿
昔、兵庫県城崎の円山川のほとり、楽々浦(ささうら)というところに一人に貧しい漁師が住んでおりました。漁師は海に近い川あたりで漁をしておりましたが、一番魚が採れるところで...…全文を見る

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投稿者:yassan 投稿日時 2012/9/25 11:17
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毎年6月にお祭りがあるようです。youtubeに動画がありましたので貼っておきます。

http://www.youtube.com/watch?v=VPBnwBz_x5s
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/11/6 20:56
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綿帽子をかぶったお地蔵さん でも、鼻からお米が出ていました。
若い人が恵まれる話しは後で、怠け者になることが多いですね。
お爺さんお婆さんなら、ゆっくり余生を過ごして欲しいと思うものですよね。
若い頃の苦労は買ってでもしろと言いますしね。
ラストは普通に戻れて良かったですね。
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/11/6 21:28
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城崎町(きのさきちょう)は、かつて兵庫県北東部に存在した町。旧城崎郡。本項では町制前の名称である湯島村(ゆしまむら)についても述べる。
内川村(うちかわむら)は、兵庫県城崎郡にあった村。現在の豊岡市城崎町の南半にあたる。
2005年4月1日、豊岡市、城崎郡竹野町・日高町、出石郡出石町・但東町と対等合併して新「豊岡市」となったため消滅した。
円山川の西岸に沿って市街地があり、その中に城崎温泉も位置する。なお、日本海にごく近い印象があるものの、町域は豊岡市と竹野町に抱かれたような立地となっており、海には直接面していない。
城崎温泉は関西の奥座敷として知られ、京阪神方面から城崎温泉駅まで多数の特急列車が直通している(大阪・尼崎方面からは「こうのとり」、京都方面からは「きのさき」、大阪・姫路方面からは「はまかぜ」)。
山: 来日岳(567m)
鉄道: JR 玄武洞駅 - 城崎温泉駅
式内社: 久流比神社、桃島神社
歴史
古代: 古くは「城埼郡」とも記された。『和名抄』では「支乃佐木」と訓じている。
郷: 『和名類聚抄』に記される郡内の郷。 新田郷、城崎郷、三江郷、奈佐郷、田結郷、余戸郷
城崎温泉は、温泉寺の開祖である道智上人という僧が衆生済度の大願を発し、一千日の祈願をしたことにより開かれた温泉と伝える。のちに聖武天皇の勅を得て、道智上人が温泉寺を開創した。以後多くの人に親しまれ、桂小五郎も一時ここに潜んだという。志賀直哉の『城の崎にて』は、彼が1913年事故に遭い、当地で療養した折の経験を元にしている。
江戸時代、幕府領 久美浜代官所に管轄されていた。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、
今津村・湯島村・桃島村の区域をもって湯島村が発足。
上山村・来日村・結村・戸島村・楽々浦村・飯谷村の区域をもって内川村が発足。
1895年(明治28年)3月15日 - 湯島村が町制施行・改称して城崎町となる。
1955年(昭和30年)2月1日 - 内川村と城崎町が合併し、改めて城崎町が発足。
2005年(平成17年)4月1日 - 豊岡市・竹野町・日高町・出石郡出石町・但東町と合併し、改めて豊岡市が発足。同日城崎町廃止。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E5%B4%8E%E7%94%BA
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%B7%9D%E6%9D%91_(%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E5%B4%8E%E9%83%A1
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/11/6 22:13
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鼻かけ地蔵
 絹巻神社から少し円山川をさかのぼった右岸に、楽々浦(ささうら)という、普通の川では珍しい大きな入り江がある。この楽々浦のほとりに立っているのが、鼻かけ地蔵様だ。円山川から大きく入り込んだ浦は、まわりを囲む小高い山の緑を静かな水面に映した、とても美しい場所である。
 鼻かけ地蔵様は、村の人たちにとても愛されているようで、お祭りを拝見に伺った時には、まさに村中総出のにぎわいだった。区長の岩村隆雄さんのお話では、昔から村でお祭りをしてきたが、『まんが日本昔ばなし』で放送されてから、「鼻かけ地蔵尊祭」として盛大におこなうようになったという。テレビアニメがきっかけで、人々のつながりも強くなったというのは、いかにも現代のお地蔵様らしいエピソードだなと思う。
浮き弁天の遠景
 楽々浦には、ほかに「浮弁天」という弁天様もお祭りされている。「どんなに水かさが上がっても、弁天様だけは沈まない」という伝説があると岩村さんから伺った。
 波静かな楽々浦は、美しい景色だけでなくよい漁場としても、古くから生活の糧を与えてくれただろう。どことなくユーモラスな鼻かけ地蔵様にお参りして、何となくほっとしたような気分になりながら、次の目的地を目指した。
http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/legend2/html/001/001.html
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