No.0373
はなかけじぞう
鼻かけ地蔵

放送回:0233-B  放送日:1980年04月19日(昭和55年04月19日)
演出:藤原万秀  文芸:沖島勲  美術:西村邦子  作画:藤原万秀
兵庫県 ) 10425hit
あらすじ

昔、兵庫県城崎の円山川のほとり、楽々浦(ささうら)というところに一人に貧しい漁師が住んでおりました。漁師は海に近い川あたりで漁をしておりましたが、一番魚が採れるところであっても暮らしぶりは貧しいものでした。

ある長雨が続いた晩のこと、漁師はお地蔵様が「冷たい、冷たい、出してくれ」と川の底で泣いている夢を見ました。不思議な夢を見たと思った翌朝、漁師が川の中程で漁をしてみると、一回で一日分とも思う魚が取れたのでした。夢中になって漁をしていると、夢で見たお地蔵様が網にかかりました。

漁師は、大漁もお地蔵様のおかげに違いないと陸にあげて丁寧に祀りました。すると、不思議なことに、安置したお地蔵様の鼻から真っ白の米がでてくるようになりました。この米のおかげで、漁師はたちまち裕福になりました。

金持ちになるに従って欲が深くなった漁師は、良い服を着てどんどんお金儲けのことばかりを考えるようになっていきました。ある日、漁師は「お地蔵様の鼻の穴をもっと広げたら、もっと米が出てくるに違いない」と思い、お地蔵様のところへ向かいました。

漁師がお地蔵様の鼻の穴を広げようとノミを打ち込むと、誤って鼻を落としてしまいました。すると、今まで出ていた白米はぴたりと止まってしまいました。漁師がとんでもないことをしてしまったとどんんなに謝っても、二度と白米がでてくることはありませんでした。

その晩、漁師の夢にお地蔵様は現れて、「もうあの川のほとりにいるのは嫌になった。後ろ向きにしてお堂を立てておくれ」と言いました。漁師は自分の行為の罪深さを猛反省して、翌朝、元の漁師の服を着て、お地蔵様の場所を移し、後ろ向きにしてお堂を立て丁寧に祀りました。

そして、反省した漁師はまた昔のように船を出して、漁にでるようになったということです。

(投稿者: もみじ 投稿日時 2012-9-24 11:37)


参考URL(1)
http://www.kinparo.com/minwa/002.html
ナレーション市原悦子
出典宮崎修二郎(未来社刊)より
出典詳細兵庫の民話(日本の民話25),宮崎修二朗、徳山静子,未来社,1960年01月31日,原題「鼻かけ地蔵」,採録地「城崎郡」,採集「田淵義直」
備考出典名にある「宮崎修二郎」は誤字で、正しくは「宮崎修二朗」
場所について豊岡市城崎町楽々浦(地図は適当)
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地図:豊岡市城崎町楽々浦(地図は適当)
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※掲載情報は 2012/9/24 18:02 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
4件表示 (全4件)
ゲスト  投稿日時 2015/11/6 22:13
鼻かけ地蔵
 絹巻神社から少し円山川をさかのぼった右岸に、楽々浦(ささうら)という、普通の川では珍しい大きな入り江がある。この楽々浦のほとりに立っているのが、鼻かけ地蔵様だ。円山川から大きく入り込んだ浦は、まわりを囲む小高い山の緑を静かな水面に映した、とても美しい場所である。
 鼻かけ地蔵様は、村の人たちにとても愛されているようで、お祭りを拝見に伺った時には、まさに村中総出のにぎわいだった。区長の岩村隆雄さんのお話では、昔から村でお祭りをしてきたが、『まんが日本昔ばなし』で放送されてから、「鼻かけ地蔵尊祭」として盛大におこなうようになったという。テレビアニメがきっかけで、人々のつながりも強くなったというのは、いかにも現代のお地蔵様らしいエピソードだなと思う。
浮き弁天の遠景
 楽々浦には、ほかに「浮弁天」という弁天様もお祭りされている。「どんなに水かさが上がっても、弁天様だけは沈まない」という伝説があると岩村さんから伺った。
 波静かな楽々浦は、美しい景色だけでなくよい漁場としても、古くから生活の糧を与えてくれただろう。どことなくユーモラスな鼻かけ地蔵様にお参りして、何となくほっとしたような気分になりながら、次の目的地を目指した。
http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/legend2/html/001/001.html
ゲスト  投稿日時 2015/11/6 21:28
城崎町(きのさきちょう)は、かつて兵庫県北東部に存在した町。旧城崎郡。本項では町制前の名称である湯島村(ゆしまむら)についても述べる。
内川村(うちかわむら)は、兵庫県城崎郡にあった村。現在の豊岡市城崎町の南半にあたる。
2005年4月1日、豊岡市、城崎郡竹野町・日高町、出石郡出石町・但東町と対等合併して新「豊岡市」となったため消滅した。
円山川の西岸に沿って市街地があり、その中に城崎温泉も位置する。なお、日本海にごく近い印象があるものの、町域は豊岡市と竹野町に抱かれたような立地となっており、海には直接面していない。
城崎温泉は関西の奥座敷として知られ、京阪神方面から城崎温泉駅まで多数の特急列車が直通している(大阪・尼崎方面からは「こうのとり」、京都方面からは「きのさき」、大阪・姫路方面からは「はまかぜ」)。
山: 来日岳(567m)
鉄道: JR 玄武洞駅 - 城崎温泉駅
式内社: 久流比神社、桃島神社
歴史
古代: 古くは「城埼郡」とも記された。『和名抄』では「支乃佐木」と訓じている。
郷: 『和名類聚抄』に記される郡内の郷。 新田郷、城崎郷、三江郷、奈佐郷、田結郷、余戸郷
城崎温泉は、温泉寺の開祖である道智上人という僧が衆生済度の大願を発し、一千日の祈願をしたことにより開かれた温泉と伝える。のちに聖武天皇の勅を得て、道智上人が温泉寺を開創した。以後多くの人に親しまれ、桂小五郎も一時ここに潜んだという。志賀直哉の『城の崎にて』は、彼が1913年事故に遭い、当地で療養した折の経験を元にしている。
江戸時代、幕府領 久美浜代官所に管轄されていた。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、
今津村・湯島村・桃島村の区域をもって湯島村が発足。
上山村・来日村・結村・戸島村・楽々浦村・飯谷村の区域をもって内川村が発足。
1895年(明治28年)3月15日 - 湯島村が町制施行・改称して城崎町となる。
1955年(昭和30年)2月1日 - 内川村と城崎町が合併し、改めて城崎町が発足。
2005年(平成17年)4月1日 - 豊岡市・竹野町・日高町・出石郡出石町・但東町と合併し、改めて豊岡市が発足。同日城崎町廃止。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E5%B4%8E%E7%94%BA
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%B7%9D%E6%9D%91_(%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E5%B4%8E%E9%83%A1
ゲスト  投稿日時 2015/11/6 20:56
綿帽子をかぶったお地蔵さん でも、鼻からお米が出ていました。
若い人が恵まれる話しは後で、怠け者になることが多いですね。
お爺さんお婆さんなら、ゆっくり余生を過ごして欲しいと思うものですよね。
若い頃の苦労は買ってでもしろと言いますしね。
ラストは普通に戻れて良かったですね。
yassan  投稿日時 2012/9/25 11:17
毎年6月にお祭りがあるようです。youtubeに動画がありましたので貼っておきます。

http://www.youtube.com/watch?v=VPBnwBz_x5s
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