磐司と桐の花 についてのコメント&レビュー投稿
昔、陸中(りくちゅう)のマタギに万治(まんじ)と磐司(ばんじ)という若者がいた。万治は名うての猟師で、山へ入れば必ず獲物を取ってきたが、一方の磐司はと言うと、山へ入って...…全文を見る

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投稿者:yassan 投稿日時 2012/6/4 16:54
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後半部分が「赤城と日光の戦い」、「大じゃと大むかで」とも微妙に重なる。
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2016/3/10 20:12
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松谷みよこさんのご冥福をお祈り致します。
投票数:32 平均点:10.00

投稿者:ゲスト 投稿日時 2016/5/17 4:41
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演出、脚本、美術、作画、一人でこなした杉井さんはすごいと思います。
投票数:31 平均点:10.00

投稿者:ゲスト 投稿日時 2016/8/2 22:42
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岩手県の県花が桐であるというのも、関連がありそうで興味深いです。
投票数:34 平均点:10.00

投稿者:ゲスト 投稿日時 2017/2/16 16:15
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「マタギの神様」のお話ですね  

子供の頃は「ケガレ」の意味がわからず悩んだものです  

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投稿者:ゲスト 投稿日時 2017/10/17 6:20
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山の神様を怒らせて獲物がとれなくなった万治はどうしたんでしょう?
どうもずる賢い所があるようなので、商人にでもなったんでしょうか?
彼なら転んでもタダじゃ起きないから何があっても大丈夫でしょうが・・・
それでも彼のその後が全く触れられていないのが気になります。
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投稿者:アザヴ 投稿日時 2018/12/1 22:45
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しかも杉井さんはこの時放浪の旅に出ていたから実質的には絵コンテだけの参加なんだよな…
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投稿者:Perenna 投稿日時 2020/12/21 1:26
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猟師の磐司伝説というのは、もともとは岩手県の民話ではなくて、山形県の立石寺に因むものだったらしいです。
明治41年に出版された「山寺名勝志」という本に、磐司にゆかりのある遺跡について書かれています。(コマ番号52/80)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763541/52

「磐司祠
五大堂の側の巌窟を龕(がん)と爲し、磐司の像を安ず、毎年旧暦七月七日祭礼を施行す、俗に山寺の祭礼と称し・・・往昔磐司は其の弟磐三郎と共に当山に住し、獣猟を以て生計と爲し居りしが、遂に大師の教化を受け、深く仏法を信じ、渓間を奔走し、大に大師に力を添たるものなり。」

また、磐司が居を構えて猟をしていた「磐司巌」という名所もあるそうですが、こちらは現在では、隣接する宮城県仙台市太白区秋保町馬場に編入されてしまったそうです。
松谷みよ子が岩手県のどこでこの昔話を採集したのかは不明ですが、おそらく「磐司磐三郎」(または「磐司と万治」)の物語は、東北地方のあちらこちらに、手を変え品を変えて伝わっているのではないでしょうか?
早池峰山の麓にある磐司ケ洞の出てくる民話や昔話については、もう少し詳しく調べてみたいなと思っています。
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