あばれ鹿 についてのコメント&レビュー投稿
昔、伊豆は函南村(かんなみむら)の辺りでは、夜な夜な2頭のつがいの大鹿が現れ、田畑を荒らしまわるので、村人は大層困っていた。そこで村人は、猟師の勘七(かんしち)に大鹿を...…全文を見る

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投稿者:beniko 投稿日時 2011/11/7 3:10
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参考URLを見たら、本当に鹿のふすまがあるんですね。すごい。
投票数:34 平均点:10.00

投稿者:ゲスト 投稿日時 2016/1/26 12:56
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伊豆八十八か所巡礼 十六番札所 興聖寺(函南町塚本)
隠れキリシタンが信仰したマリア観音が安置される
山号 金宝山  臨済宗(円覚寺・末) 草創 1489(延徳元年)
町の有形文化財、マリア観音像と鹿の襖絵がある。
子供を抱いた観世音菩薩、徳川幕府の目から逃れる為の隠れキリシタンのマリア像と云われる。鹿の襖絵は、鎌倉時代に描かれたと推定され、猟師が本物の鹿と間違えて撃った4つの火縄銃弾の跡が残る。
この鹿の襖絵の銃弾跡には言われがあり、日本昔ばなしで放送された。
鹿が畑を荒らし、農家を困らせていたところ、火縄銃を持った猟師が鹿退治に駆りだされた。鹿はこの寺に逃げ込んだ。猟師は鹿を追い、寺に上がる。鹿だと思い猟師が引き金を引くとそれは襖絵だった。
http://www.izu-kanko.com/%e4%bc%8a%e8%b1%86%e5%85%ab%e5%8d%81%e5%85%ab%e3%83%b6%e6%89%80%e9%9c%8a%e5%a0%b4%e3%82%ac%e3%82%a4%e3%83%89/202.html
投票数:33 平均点:10.00

投稿者:ゲスト 投稿日時 2016/1/26 13:26
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興聖寺(こうしょうじ)函南町塚本431 電話055-978-3079
襖絵
雌雄一対の鹿ともみじが杉戸2枚に描かれています。
構図や色彩、筆勢などから琳派の系統の絵師による、十七世紀末から十八世紀頃の作品と推定されています。
琳派とは桃山時代から江戸時代初期に活躍した本阿弥光悦、俵屋宗達や江戸時代中期の尾形光琳などに代表される装飾芸術派で、作風は平安の王朝文化復興を目指したとされ、平安時代の大和絵の技法や題材を取り入れたものです。
右に雌、左に雄を配しもみじの朱は色鮮やかに残っています。

厨子に納められたマリア観音像全体
(像の高さ17cm、幅15.5cm、奥行13cm)
キリスト教は江戸時代の徳川幕府の禁教方針や鎖国政策により、その信者は過酷な弾圧を受け首切りなどの刑に処せられました。
こうした迫害を受けながらも、密かにキリスト教を信仰し続けた人々は隠れ切支丹と呼ばれ、聖母マリアやマリア観音像を崇拝していました。
この像は漆喰で作られ、マリアの冠の中にはクルス(十字架)がつけられています。
隠れ切支丹たちが子育て観音と偽り、命がけで守ってきた歴史的背景をもつもので、全国的にも現存する例は殆どないとても貴重な像です。
http://mishimasatoyama.web.fc2.com/page231.html


鎌倉円覚寺
 =正式名称「瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさん えんがくこうしょうぜんじ)」興聖寺 名の所縁 だと言う。
鹿の襖絵も、瑞鹿山 からだろうか?

http://blog.goo.ne.jp/torajirou44/e/243a2239bb6462aea0a601f6af745cd5
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