シビラの坂 についてのコメント&レビュー投稿
昔、能登半島の柴垣から滝谷に向かう道筋に、芝原将監(しばはらしょうげん)という領主の立派な屋敷があった。剛腕で強欲な芝原将監は、家来や領民からはたいそう恐れられていて、...…全文を見る

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投稿者:マニアック 投稿日時 2011/10/22 20:48
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意地悪な、お代官(?)の娘が、嫁入りすることになり、代官は派手な花嫁行列にしようと、百姓のせっかく作った米を道にばらまき、その上を歩かせようと、思いついた。当日、予定通り行列は、米の上を歩いた、しかし途中で、籠の中の花嫁が急に苦しみだし、そのまま死んでしまった。代官は大粒の涙を流して泣いてしまった。(※これがなぜシビラの坂というのかは、わかりません。)
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投稿者:araya 投稿日時 2011/10/28 13:27
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シビラというのは兵庫では彼岸花のことらしいですけど、「もちの白鳥」のリメイクなら富山でしょうし、物語のラストが分からないと田んぼのあぜ道に彼岸花が咲く由来の話ともいえないでしょうし。何なんでしょうね。
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投稿者:beniko 投稿日時 2011/10/28 22:26
書籍からあらすじを書いてみました。どうも「しびらの坂」は実在していそうな雰囲気です。地元の方なら知っているかもしれませんが、ネット検索ではあまり有力な手掛かりは見つかりませんでした。
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投稿者:araya 投稿日時 2011/10/29 11:09
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なるほど、芝原の坂が転訛してのシビラの坂でしたか。納得です。

昔は道の一つ一つに名前があり、それが住所の代わりを成していましたが、近代化を経て、輸送手段の発達で移動範囲が広がり、広域の国道県道がメインになってくると、小さな道の名前って使われなくなりますからね。下関でも地元の古道名を知っているのは郷土史家か好事家くらいなものですし。シビラの坂も地元の郷土史家からの情報を得たいところですね(^_^)。
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投稿者:araya 投稿日時 2011/12/1 23:14
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石川県羽咋市柴垣町谷内に「芝原将監館跡」があり、地元では将監屋敷や芝原堡と言われています。柴垣町北東部の丘陵台地上に位置しており、館域は25×43(m)の縦長。中央南部の2ヶ所で土塁と礎石群が確認されており、築年代は鎌倉後期の1294年。また1kmほど北東に行ったところにある妙成寺は芝原家が外護した菩提寺で、境内には将監の墓も残されているとのことです。過去帳によると将監の子孫は「滝谷殿」と呼ばれていたとか。話中にあるように娘さんが亡くなって家系も絶えたってわけではなさそうですね(^_^)。

芝原将監館跡 http://g.co/maps/423ne
シビラ坂?(中央「+」マーク地点の坂) http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=136.76691666491&latitude=36.948486012452

紹介サイト http://www.hb.pei.jp/shiro/noto/shibaharashogen-yakata/
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投稿者:ピピピオ 投稿日時 2022/2/8 20:22
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もちの白鳥とは違って、領主が最後心を入れ替えている点がいいね。娘が死んだからだろうけど…
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