立政寺については、大正4年に出版された「岐阜市案内:附長良川鵜飼記」に次のように書かれています。(コマ番号36/62)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/932606/36「立政寺(附不鳴池) 稲葉郡市橋村大字西之庄にありて岐阜より西南一里ほどなり、亀甲山と號し、浄土宗西山派に属す、文和二年智通上人諸国巡遊の途次此地に来りて葛西庄司の家に宿し、地名を問へば西の庄と答ふ、上人其霊地なるを見て有縁の地となし本寺の基を開く、同四年勅して立政寺の號を賜ふ、堂前に池あり、亀甲池と称し、上人嘗て此池の蛙声喧騒甚しきを厭ひ、避けて他に移り給ひしにぞ池の主なる亀之を本意なく思ひ、蛙声の喧騒を止めて再び上人を請じたりと、それが為め今に至るも此池中の蛙は鳴かずとの奇談あり、尚ほ此の池は蓮花を以て有名なり。」
旅の坊様が通りかかり、この地に寺を築いたのは事実ですが、雨乞いのためではなかったようです。
池の蛙の声が耳について心が乱れてしまったので、坊様はよその土地に移りました。
池の主の亀は責任を感じてしまい、坊様に戻ってきてもらうため、蛙を静かにさせたそうです。
立政寺は浄土宗の寺なので、お寺のお坊さんたちは、もちろん「南無阿弥陀仏」と唱えます。
この阿弥陀様の名号がどのようにして、雨乞いの祈祷の昔話と結びついたのか?
いろいろと興味がわきますね。