この昔話は、大正5年に出版された「千葉県市原郡誌」に、次のように書かれていました。(コマ番号258/760)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951002/234?tocOpened=1「医者の頓智
或所に馬鹿でも道楽者でも何でも直すと云ふ評判の医者があつた、或時一人の親爺が伜を連れて来てどうも内の伜は道楽で困るから先生どうか一つ御療治を願ひたいと云つた、医者は宜しい庭へ回れ、言はるゝまゝに庭へ回ると大きな欅(けやき)の木があつた、医者は其れへ登れと云ふ、変な事を云ふ先生だと思つたが其のまゝ道楽息子は上つて行くと掴(つかま)へて居た枝で次第次第に撓(た)るんで折れさうになつた、息子は顔を青くして助けて呉れ助けて呉れ、医者は落ち着きはらつてお前が今枝を掴(つか)んで居る様に金を大切に掴んで居る気になるならば助けてやる、道楽息子も命は欲(ほし)いと見えて医者の云ふことを聴(きい)た。」
市原郡のケヤキについては、同じ本の435ページ(コマ番号234/760)に「名木」(めいぼく)として「永吉欅木」が紹介されています。
「市原郡市東村永吉、平野神社境内にありて大きさ六丈幹の空洞六七人を容るの大木たり此木は名木として上総国誌稿に載せらる。」
平野神社は、現在の市原市永吉115番地(字平野)にあるらしいです。
この昔話に出てくる「市原の村はずれにあるでっかいケヤキの木」は、はたして平野神社の「永吉欅木」と同じものだったのでしょうか?