医王山正智院泰平寺
鹿児島県薩摩川内市大小路町48-37
創立は境内の発掘から和銅元年であることは判明しているが、詳細な史料が伝わっておらずその後の履歴は不明である。ちなみにその頃には薬師寺式の伽藍配置であり、現在の寺の周辺に礎石などが残っている。
次に歴史に登場するのは遥か下がって暦応2年、足利直義によって「利生塔」が泰平寺に建立される。
この寺を有名にしたのは天正15年の九州征伐のとき豊臣秀吉がここを御座所として接収、ここで島津義久と会見し、島津氏の降伏の舞台となったことである。
歴史の古い寺であったことから江戸時代にも藩主・島津氏の厚い尊崇を受けていたが、寛政7年の火災及び明治2年の廃仏毀釈で全山破壊などにより、歴代伝わっていた貴重な寺宝もほとんどが行方不明となった。現在残っているのは大正12年(1923年)に地元の有志の寄付によって再建された建物である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%B0%E5%B9%B3%E5%AF%BA_(%E8%96%A9%E6%91%A9%E5%B7%9D%E5%86%85%E5%B8%82)古来の泰平寺は、奈良時代初期708年(和銅元年)、元明天皇(女性天皇)が即位されたとき、天皇の勅願により薩摩国の中心都市川内の地に「天下泰平・万民豊楽」を祈願して建立された由緒ある寺です。
http://www5.synapse.ne.jp/furusato/sub1taiheiji.html塩大黒さまは、廃仏毀釈で寺からなくなり、1997年に戻られ再び奉祭されているそうです。
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/KAGKAN93.HTM#naiyo