「有馬郡誌」(昭和4年)によれば、雷が落ちた欣勝寺について次のように書かれています。(コマ番号226/507)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1174068「大宋山欣勝寺 桑原に在り
享禄元年玄普和尚の創立開祖、徳四隣に洽く爲めに雷獣降伏云々の神秘的由緒あり。」
また、明治時代の新聞記者で評論家の鵜崎鷺城という人の書いた「頭を抱へて」(大正4年)という随筆集には、雷と桑原の関係について次のように書かれています。(コマ番号181/194)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1899853/180「雷鳴の時、何の意味とも知らずに桑原々々といふ習はしになつて居るが、其由来は京都に桑原子爵といふ公卿華族があつて、菅公の後裔であるから、他に落ちても雷の本家たる菅原家に落ちないとといふ迷信より来て居るのださうな。」
京都の公家である桑原家は、江戸時代の初めに菅原道真の子孫の五条家から分家しました。
大宰府の天神様で有名な菅原道真は怨霊となり、京都御所の清涼殿に雷を落としたことで知られています。
雷と桑原に関する地名や家名は、なにやらいろいろな深い因縁や由緒があるみたいですね。