孝行娘 についてのコメント&レビュー投稿
昔、熊本県の宇土(うと)という町に、お静という親孝行な娘がおった。お静は病気がちの母親を助け、茶店を営んでいた。
その頃の宇土の殿様である、なわほうきのかみ あきたか(名...…
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投稿者:めくら鼠 投稿日時 2013/6/1 9:28
家老のキャラデザは高橋信也作画の回によく見る顔だが…?
お静は福満しげゆきのマンガに出てきそうな顔
(高橋信也の優男優女は基本永島慎二系の顔だが)。
若林常夫回だけどキャラの印象が随分違うな。
投稿者:マルコ 投稿日時 2014/3/29 12:15
このお話に登場する世間知らずの若殿様は名和顕孝だそうです。
この人物ってどんな人か気になったので調べてみました。
名和顕孝 なわあきたか 1560~1608
肥後の国人。官途は左兵衛尉。別に伯耆顕孝とも。長良と号す。肥後宇土城主。大友氏の耳川大敗により、1579年に島津氏に降伏し、1580年島津氏が網田を攻略すると顕孝に与えられた。1581年の水俣合戦では顕孝が仲介に立って島津・相良両氏を和睦させている。同年龍造寺氏が肥後に侵攻すると一時これに降るが、翌年には島津氏に再び属す。九州征伐により、1587年開城して降伏した。肥後一揆の際は秀吉に召還されて大坂にいたため没領は免れたが、1588年筑前に移封され、小早川隆景に属した。息子長興は立花宗茂に仕え、子孫は伯耆氏(建武中興に活躍した伯耆の名和長年に因む)を称し、明治に至り男爵を与えられた。
顕孝は元寇の際の記録として有名な「蒙古襲来絵詞」を所蔵し、娘が大矢野種基に嫁いだとき、大矢野氏に贈った。種基の先祖大矢野種保は竹崎季長とともに元と戦った武者である。
投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/4/4 3:03
お静がいい意味で堂々としていて気持ちいいです。
投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/10/29 19:17
お静の笑顔や堂々とした姿が、現代でも通用するのではと思えるほどかわいらしい。
ちょっとぬけてる殿様も、清々しく器の大きい人。
両者が気持ちよく話をしめてくれます。
若林常夫さんのいつもとは違う絵も拝めますし、隠れた良回かと。
投稿者:歳の順 投稿日時 2018/4/16 22:05
若林常夫さんの作品でイラストがいつもと違うのはこの話と鵜戸さん参りと幽霊祭くらいですかね?