Re: とりあえずこの辺かー

首切り地蔵 についてのコメント&レビュー投稿
昔、岡山県都窪郡庄村に、冬でも汗をかく不思議なお地蔵さまがいた。 ある年、備中一帯はひどい日照りに見舞われ、田畑もすっかり干上がってしまい、食べるものも困るありさまだ...…全文を見る

Re: とりあえずこの辺かー

投稿者:araya 投稿日時 2011/10/24 20:38
余談ですが、下関には首のない「首切り地蔵」というものがあり、こちらは「奇兵隊が刀の試し切りで斬った」という言い伝えがあります。実際は明治の廃仏毀釈令による破壊が原因ですが、幕末当時の奇兵隊はならず者の集まりで悪い評判が目立っていましたので、改修後は体裁を繕うため、その奇兵隊に濡れ衣を着せたんだとか。

地域ではあまり大々的に言い伝えてこなかった黒歴史を紐解くと、大抵は不名誉なものであったり、部落史に関わるものであったりしますね。昔話をどこまで事実として認めるかは難しいところですが、戸川安宣が27歳という若さで亡くなり、次の代も9歳で亡くなって一時家名断絶。それが何かしらの祟りと捉えられていたのであれば、首切り地蔵の因縁話はしっくりくるものだったのではしょうか。

ちなみに、昔の刑場は因縁の地や竹藪や高湿度など人が住むには不適な土地(地蔵の石質によっては結露しやすい環境)が充てられることが多く、そこの仏像を敬うとなると刑場に所縁のある集落の可能性もありますので、部落史との関わりも否定はできませんが…。
ただ、実際問題、公共用地として広い面積を持つ刑場は明治の教育令で学校になったものが多く、点在する刑場も刑務所一つに統合した経緯も考えると、庄パークヒルズのある土地が明治期に手つかずだったのは、古墳群などがあったことから因縁の地と考えられていたのかもしれません。

あくまで推測ですが、wikiの記述にある「六間川改修」を若くして行なった戸川安宣は現実主義的な名君で、因縁事を信じないところもあったのではないでしょうか。そして、六間川改修の際に、話中の地蔵山集落と何かしらのトラブルがあったのやも。地蔵や古墳を石材として供出させたかしたか。それは分かりませんがね(^_^)。
投票数:35 平均点:10.00

投稿ツリー

このスレッドの投稿一覧へ

  条件検索へ


現地関連情報
出典本調査 facebook
Twitter

オンライン状況

22 人のユーザが現在オンラインです。 (2 人のユーザが レビュー&コメント投稿 を参照しています。)

新着コメント(コメント24件)