Re: Re: 首切り地蔵

首切り地蔵 についてのコメント&レビュー投稿
昔、岡山県都窪郡庄村に、冬でも汗をかく不思議なお地蔵さまがいた。 ある年、備中一帯はひどい日照りに見舞われ、田畑もすっかり干上がってしまい、食べるものも困るありさまだ...…全文を見る

Re: Re: 首切り地蔵

投稿者:araya 投稿日時 2011/10/23 7:50
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岡山県都窪郡はかつては都宇郡と呼ばれ、舞台となった庄村もこれに含まれていました。都宇郡は備中国にあたり、幕末時には岡山支藩生坂藩が都宇郡6村、庭瀬藩が都宇郡1村を差配しています。
庭瀬藩の1村が庄村かは不明ですが、江戸初期に戸川家が藩主を務め、第3代藩主が戸川安宣になります。但し、こちらは土佐守で話中の肥後守とは違いますが、物語の登場人物は多分こちらをモチーフにされてるかと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E5%B7%9D%E5%AE%89%E5%AE%A3
余談ながら、庭瀬藩は第4代藩主・安風が夭折し無嫡子のため、久世家が立藩するまで一時廃藩しています。安宣の在任が1669-1674の5年間(享年27歳)、安風の在任が1675-1679の4年間(享年9歳)。実話なら、この9年間の間の物語となりましょうか。ただ、家名自体は安風の弟の達富が継いでますので、首切り地蔵の後ろにあるとしている身代地蔵(断り地蔵)の建立は、そちらの子孫によるものかもしれません。

また、舞台となった庄村は現在の倉敷市庄地区、船が出港した港は倉敷市玉島地区、戸川安宣の庭瀬城は岡山市北区庭瀬828。JR山陽本線で「庭瀬~中庄~新倉敷」とほぼ一直線上に舞台が並んでいますね。
問題のお地蔵様ですが、下記スレのレス96-100に首切り地蔵の話があります。多分、これがビンゴと思いますが、いかがでしょうね(^_^)。
http://www3.machi.to/bbs/read.cgi/cyugoku/1087998187/
肝心の地蔵さんの場所は「庄パークの石碑のとこ」「マルナカの北」ってことで、庄パークがどこか、マルナカの何店か、地元の人に聞かないとちょっと分かりづらいですが、一応、〇〇〇庄パーク店で何店舗か調べると、庄パークというのは新興住宅地の庄新町のことらしく、マルナカは庄新町の南にある山陽マルナカ上庄店(倉敷市上東506-1)のことのようです。
古道で目に付く場所なら、マルナカから庄パーク出入口まで県道73号を北上する道中か、その県道73号途上から横道にそれる南の庄パーク入口までの県道389号を東行する道中。

ってことで、ストリートビューが使えるので、ちょっくら朝のドライブ?に行ってきますわ( ̄∀ ̄)。
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