Re: お伊勢物語

お伊勢物語 についてのコメント&レビュー投稿
お伊勢の家はとても貧乏で、両親と幼い弟妹達と暮らしている。 そんなお伊勢に縁談が来た。嫁ぎ先は沖にあるとある離島で、その島へは船が無いといくことができないが、お伊勢のす...…全文を見る

Re: お伊勢物語

投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/12/28 17:49
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高島(たかしま)は、島根県益田市北部の沖(同市大浜漁港より)約12kmに浮かぶ島である。別名・七戸島。島根県益田市に属する。
最盛期の1960年(昭和35年)には125人の島民が暮らし、島内に益田市立鎌手小学校・益田市立鎌手中学校の分校があった。しかし、過疎化の進行に加え、1972年(昭和47年)の集中豪雨災害などで大きな被害を受けたため、1975年(昭和50年)3月に全住民が対岸の益田市土田町に集団移住して無人島となった。
現在は磯釣りスポットとなっている。

輝石安山岩などの墳出岩からなり、海岸線は日本海による海食を受けて断崖となっている。東に標高約117.4m、西に80mの2つの山があり、平地はほとんど存在しない。河川も存在しない。
島全体が暖流である対馬海流に囲まれているため比較的温暖で、霜や雪は少ない。年平均気温は16℃前後と島根県内で最高である。
本居宣長は『玉勝間』にネズミの多い島と記しており、ハタネズミ・アカネズミが生息する。また、周囲の断崖にはカヤツリグサ科のヒゲスゲが生い茂り、オオミズナギドリの生息地となっている。
現在は無人島であるが、最盛期の1960年(昭和35年)には125人の島民が暮らし、海藻類・貝類・ウニ類の採取や船を出してのイカ・イサキ漁のほか、南東斜面のわずかな平地を集落や段々畑に利用してムギ・豆・サツマイモや野菜を栽培して生活していた。島民の一部には遠洋漁業の乗組員として生計を立てる者もいたものの、名産の「高島海苔」と髪油用のツバキの実が数少ない現金収入源であった。

歴史
高島に人が住み始めた時期については詳らかではない。応永年間に、高島を根拠地とする海賊が現れたため、石見を支配していた益田兼理が兵を送って平定したという。その後、高島に常住する者が現れた。移住者については出羽(現邑南町)の武士の亡命説、馬木城(現奥出雲町)の武士の漂流説、茶臼山城(現浜田市)の水軍の逃亡説など諸説あり、遅くとも15世紀後半には定住者がいたと言われている。
江戸時代には浜田藩の領地となった。正徳元年(1711年)秋、ネズミが大量発生して耕作物や草木の根を食い荒らした。不漁も重なり、島民は浜田藩に生活困窮を訴えたが解決されず、翌年に全員が対岸の本土へ逃散した(高島島民離島事件)。藩は帰島するよう様々な手を尽くして説得したが、最終的に島長を含む4戸18人が帰島したにとどまった。残りの6戸29人はそのまま本土に土着したという。
もともと「七戸島」の別称が示すように、戸数が増えすぎることを避けてきた

乙子狭姫伝説
大宜都比売命の末子、乙子狭姫(おとごさひめ, おとこさひめ)が、朝鮮半島から赤雁の背に乗って日本にやってきて最初に降り立った島が「鷹の住む島」、今日の高島であったという伝説がある。母から託された作物の種子を持ちやってきたが、大山祇神の遣いである鷹に、肉食であるため不要であると追い払われた。このため、高島では作物があまり収穫できないのだという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6_(%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C)
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