Re: 柴右衛門だぬき

柴右衛門だぬき についてのコメント&レビュー投稿
昔、淡路島の洲本の裏の三熊山(みくまやま)に、芝右衛門という狸とお増(おます)という夫婦のたぬきが住んでいた。 芝右衛門だぬきが三熊山の頂上で腹鼓を打った翌日は、いつも...…全文を見る

Re: 柴右衛門だぬき

投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/11/3 19:15
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=亡くなったその後について=
芝右衛門の死後、中座では客の入りが悪くなり「芝右衛門を殺した祟りだ」と噂が立ったので、芝右衛門を芝居小屋に祀ったところ、また客足が良くなった。以来、芝右衛門は人気の神として中村雁治郎、片岡仁左衛門、藤山寛美といった多くの役者たちに厚く信仰されてきた。後に芝右衛門の里帰りと称し、寛美や仁左衛門らの寄進により洲本市に芝右衛門の祠が建てられた。現在では芝右衛門の祠は三熊山頂上の洲本城跡に近くにあり、芝居好きであった芝右衛門の伝説から、今なお芸能人の参拝が多い。中座に祀られていた「柴右衛門大明神」も2000年に「里帰り」し、現在は洲本八幡神社に祀られている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%9D%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80%E7%8B%B8

芝右衛門狸と藤山寛美
「浪速の中座で大狸が犬に噛まれて死んだそうだ」という噂が伝わり、地元の人は「その大狸こそ芝右衛門だったに違いない」ということで、古巣三熊山に祠を建ててこれを祀ったのである。江戸時代初期の話である。ところが、不思議なことに、中座ではそれ以後、客の入りが悪くなり、いつの頃からか芝居関係者の間で「芝右衛門狸を殺したことの祟りに違いない」ということになって、芝居小屋の奈落(舞台の下)に芝右衛門狸を祀り、この霊を慰めたところ、またかつてのように、大勢のお客が入るようになったのである。以来三百余年。中座では芝右衛門狸が「人気の神様」ということで、この芝居小屋で芸を披露する役者たちから厚い信仰を受けてきた。なかでも、上方歌舞伎の名優先代の中村雁次郎や先代の片岡仁左衛門、さらには、この中座が松竹新喜劇のホームグラウンドになっていたこともあり、藤山寛美たちによって厚く信仰され、昭和32年(1959年)には「淡路へ里帰り」ということで、洲本城内に寛美や仁左衛門などの寄進により、芝右衛門狸の祠が建てられたりもした。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-140.htm

柴右衛門狸大明神
平成11年10月に閉館した大阪の道頓堀にあった松竹中座の奈落には、八兵衛という狸が祀られていた。
江戸時代、この狸は人間に化けて淡路の国から初代片岡仁左衛門(1658~1715)の芝居を見にきていたが、木戸銭に木の葉が混ざっていることに不審を抱いた劇場の人間が放った犬に食い殺された、という伝説を持つ。その後、中座から客足が遠くようになったが、仁左衛門の夢に現れた八兵衛狸の「祀ってくれ」という頼みに従い、その通りにすると再び中座は活気を取り戻したそうである。
この八兵衛狸は、淡路に伝わる柴右衛門狸のことであるというのが通説であり、中座の閉館が決定した際に「淡路へ返そう」と提案された。が、八兵衛狸を祀る小祠には中座の氏神である生国魂神社(天王寺区)の摂社、源九郎稲荷の分霊も合祀されているため、淡路と生国魂神社の間にて本家争いが起きた。
結果的には「どちらも本家」ということに落ち着き、11月1日、淡路の洲本に返還され、「芝居の神様、柴右衛門狸大明神」として、蜂須賀家の祈願所であった洲本八幡神社に祀られました。
http://www.katch.ne.jp/~msyk-tsj/sibaemon.html
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