Re: さるやの石

さるやの石 についてのコメント&レビュー投稿
昔、岐阜の下呂村に仲の良い夫婦が住んでいた。 ある日のこと、亭主が野良仕事に出かけると、畑の横の草むらに親とはぐれた一匹の子猿を見つけた。この亭主は優しい男で、腹を空か...…全文を見る

Re: さるやの石

投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/11/3 14:33
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猿田彦命を祀る神社として始まった 森水無八幡神社
猿との縁の深さがある。

森水無八幡神社(もりみなしはちまんじんじゃ)は、岐阜県下呂市にある八幡神社である。「森八幡神社」とも言う。
毎年2月に行われる田の神祭は、「田遊び」がその元となっているとされる豊作予祝祭であり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
岐阜県下呂市森1321 旧村社 創建不明
例祭:2月14日 主な神事:田の神祭 花笠まつり(2月7-14日)
祭神:八幡神社であるが、元々は須佐之男命・猿田彦命が祭神であったと推測される。
須佐之男命、猿田彦、応神天皇、御食津神、倉稲魂命、事解男命、早玉男命、大山祇神、火産霊神、大己貴命、埴山姫命、興津彦命
歴史
創祀時期は不明。一説では下呂郷湯之島村に鎮座していた猿田彦命を祀る神社が現在地に遷座し、「松森神社」と改称。後の戦国時代、三木良頼により八幡神が合祀され、「八幡神社」と改称したという。江戸時代には下呂郷6か村の総社であったが、明治時代初期、益田郡森村の村社となり、明治42年(1909年)、近隣の11の神社が合祀された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%B0%B4%E7%84%A1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
↓境内の写真が多く載っています。
http://komainumeguri.blog.fc2.com/blog-entry-1001.html

縄文時代の石への信仰のあった森水無八幡神社

縄文人も崇拝していた? 4500年前の石棒公開へ 2011年11月12日 10:15
◆下呂の神社保管、12~13日「下呂石シンポ」で
戦前に高山市内で発見され、下呂市森の森水無八幡神社にご神体として持ち込まれた石棒が、 12、13日に同市内で開かれる「下呂石シンポジウム」で公開される。 本当にご神体であったかは定かではなく、現在の位置付けは「ご神宝」。だが「縄文時代以来の信仰の場」という見方もある同神社の関係者にとっては古代のロマンの象徴となっている。 石棒は高さ48センチ、底辺幅21センチ。
下呂市教育委員会は約4500年前の縄文時代中期に作られた石棒と認定、今年に入り同市の重要文化財に指定された。 全体的には男性器の形で女性器を示す模様も刻まれており、指定に当たり、彫刻の意匠も評価された。 神社の外部に出して一般公開するのは初めてという。
高山市内で発見された当時の記録「石棒由来記」などによると、1929(昭和4)年ごろに発見された。 7年後に当時の益田郡(現下呂市)内在住の住職らが見に行き「われわれが探し求めていた神社のご神体に違いない」と感嘆。 発見者も「石器時代の人間はこうした石棒を崇拝していたそうなので大事に持っていた。夢のお告げもあった」と言い石棒を譲ることにした。 下呂に持ち帰った際、国鉄下呂駅(当時)では黒山の人だかりができたという。以来現在まで、石棒は同神社で保管されてきた。
しかし、石棒が同神社のご神体だという根拠は判然としない。現に同神社には、ご神体が存在する。
日本考古学協会員の吉朝則富さん=高山市=は 「石棒が神社のご神体にされたのは一般的にはかなり後世の話で、この石棒もご神体とは考えられない」と語る。
しかし同神社関係者は「下呂は石器の材料の下呂石の産地であり峰一合遺跡もある。縄文人も多く集まったに違いない。 石棒がご神体だったかはともかく、神社の場所が信仰の場所だった可能性はあるはず」と古代に思いをはせている。
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