Re: 耳なし芳一

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昔、下関(赤間関、あかまがせき)の阿弥陀寺(あみだじ)というお寺に、びわ法師の芳一(ほういち)という男がいた。幼いころから目が不自由だったが、琵琶(ビワ)の腕は師匠をし...…全文を見る

Re: 耳なし芳一

投稿者:豊郷耳子 投稿日時 2014/2/25 14:58
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以前、日本史の勉強で出てきた、平氏ゆかりの場所。

伊勢平氏発祥伝説地
三重県津市は古来、伊勢参りの宿場町として栄えました。伊勢守(いせのかみ)に任じられるなど、この地に平氏が定着したことから伊勢平氏発祥の地ともいわれています。また、清盛の父・忠盛が産湯を使ったとされる池もあります。
 院との結びつきを深め、勢力を拡大していった平氏。忠盛はこの地を拠点に、平氏繁栄の基礎をつくり、やがて大きな権力を握ることになるのです。

平清盛の音戸の瀬戸
平清盛にまつわる伝説が数多く残る広島県。北広島町に伝わる田植え唄にも清盛は登場します。唄の一節は、清盛が切り開いたとされる音戸の瀬戸の伝説を歌っています。嚴島神社参詣のため開いたといわれる瀬戸は、今も多くの船が行き交う重要な航路です。
 また宝積寺では、観世音菩薩の評判を聞いた清盛が、三日三晩寺にこもって一門の繁栄を祈願し、人々を驚かせたといわれています。

平氏一門が厚く信仰した厳島神社。
武士の頂点に立ち、日本の覇者となった平清盛があつく信仰した嚴島神社。壮麗な朱塗りの海上社殿は、清盛の巨大な財力と斬新な発想によって造営されました。また、平家一門が写経した経典をはじめ数々の宝物が奉納されたといいます。
 神社近くの丘に立つ経塚。清盛が平家の繁栄を祈願し、ここに経を彫った石を埋めたといいます。嚴島神社は、平家の栄華を今もわれわれに伝えています。


赤間神宮について。
元暦2年(1185)3月、壇ノ浦で源平最後の合戦が行われました。
 安徳天皇のなきがらは海から引きあげられ手厚く葬られたと伝えられています。赤間神宮には安徳天皇がまつられ、海の都を模した竜宮造りの水天門は二位の尼時子の願いを映したものだといいます。
 平家一門の墓、七盛塚は、江戸中期、地元の人々の尽力で散在していた墓が集められました。また、先帝祭は壇ノ浦で生きのびた平家の女性たちが身をやつしても安徳天皇を思い慕っていた様子を伝えています。
 夢を追い続けた男、平清盛。その生きざまは平家の栄枯盛衰とともに永遠に語り継がれてゆくのです。
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