亡者道がゲゲゲの水木しげる先生の本に載ってました!!それと、「亡者の通る道」との関係があるっていうのも分かりました!!
投稿者:マルコ 投稿日時 2013/4/20 15:29
岩波新書のカラー版「幽霊画談」に精霊田の詳細が水木先生の絵と共に載っていました。
岐阜県と長野県両県にまたがる乗鞍岳群峰の山頂、千町ヶ原の沼で。山案内人の上牧太郎氏がある夜、何十人という白帷子姿の男女が争って水を飲んでいるのを見た。
「何しとるだ。」
と声をかけると、そのうちの一人が驚いたように振り向いたが、その額には白い三角の頭巾に伸び放題の髪、両眼は真っ赤に燃えてその恐ろしさと言ったらなかった。
上牧氏は一心に仏の名を呼び続け、ふと我に返ると亡者たちの姿は消えていた。
千町ヶ原は「精霊田」と呼ばれていて、昔から美濃、尾張地方の亡者が立山の地獄谷へ向かう途中、ここで水を飲むという伝説があるそうで、牧野氏はその伝説を目の当たりにしたというわけだ。
このお話を調べていくうちに「亡者の通る道」との関係が分かってきました。
まん日の「亡者の通る道」とよく似たお話。というかこのお話が原作じゃないか?と思われる「がたがた橋(がたがたばし)」は、飛騨小坂(現・岐阜県下呂市)にあったといわれる橋にまつわる伝説。
小坂の金右衛門という者の家の前に小さな板橋があり、峠を越えて隣村へ行くためにさかんに利用されていた。
ある夜。金右衛門が家にいると、ガタガタと橋をわたる大きな音が聞こえ、ひそひそと人の声が聞こえた。こんな夜に峠越えは危険だと思って外を見ると、人影はまったく見えない。こうした不思議なことが毎晩続き、やがて雨の夜には橋をわたる音に混じって、悲しそうな泣き声が聞こえるようになった。
気味悪く思った金右衛門が占い師に占ってもらったところ、彼の家の前は隣村を越えて越中(現・富山県)立山まで続いており、立山にはさまざまな地獄があるので、地獄へ墜ちる亡者たちが橋を通っているとのことだった。
これを聞いた金右衛門は、家の者たちとともに橋から離れた場所へ引っ越すとともに、亡者たちを供養し、橋のそばには経塚を立てた。以来、これまでのような怪異はなくなったという。
なお、このほかにも音を伴った橋の名は「がたがた橋」「ドウドウ橋」「ドタドタ橋」など多くあり、川の流れが橋や橋桁にあたる音から想像されたものと考えられている。そのために飛騨の「がたがた橋」についても、同様に川の流れの音から「がたがた橋」と名づけられていたものが「立山地獄へ向かう亡者たちが境に架けられた橋の上をわたる音」と後付けの解釈を施されたもの、とする説もある。
立山地獄への通り道にまつわる類話として、岐阜や愛知県の亡者たちが立山地獄へ向かう途中、乗鞍岳山頂の千町ヶ原の沼で水を飲むという伝説があり、「精霊田(しょうらいだ)」と呼ばれた。